TGF2005に行ってきた。
■んー感想を書こうと思っていたのだが、上のにかすんでしまった。ごめんなさい主催者さん。いや、いいイベントでした。これは本当に。というわけで寸評を。
通路
■気軽に楽しめる水道管ゲーム系。でもパッケージの美しさと、ゲームのカオスっぷりはなかなかよかったので、購入。今度遊びましょう>友人筋
ヒクタス
■大きなおもちゃ屋さんだと売っている、勝利条件をめぐって駆け引きをする、ウノのバリアント系。インフォメーションの営業のお姉さんが、面白いキャラクターだった。ゲームもなかなか面白い。でもちょっとギャンブル準拠しすぎかも。購入。今度遊びましょう>友人筋
(名前を失念したが誰が敵で味方かを探しあう殺し合いゲーム)
■「光」「影」そして「(ややこしい勝利条件を持った)どちらでもない人」にわかれ、誰がどこに属するかを少しずつ公開されている情報から探り合う、という多人数型ボードゲーム。4〜8人とあったが、たぶん6〜10人。人数がいて、各人がガチでやりあえばけっこう面白そう。まだ発売してない。
ロボッツ・カワサキファクトリー(同人?)
■ロボットごまとロボットが動く燃料ごまを配置しつつ、燃料ごまを補給しながらやる、なんともジャンルわけしづらい、二人対戦ゲーム。三つある行動選択と相手の進路を予想しながらやりあう邪魔し合いゲームが熱かった。デザイナー氏がびっくりしていた遊び方で駆け引きをやれていたらしく、それもまた面白く。残念ながら販売はせず。ゲームマーケットで買おうと思う。
カルタゴの商人・カワサキファクトリー(同人?)
■資金調達か、購入と連動した船便か、そして海賊にぶんどられるのか、と様々な要素が絡み合う、いかにもドイツゲームなボードゲーム。ちょっとサンファンっぽい? 購入と同時に船が動き、それが港に着くと勝利ポイントになる、というシステムなのだが、このタイミングを計るのがなかなか難しくて、一回じゃ勝利の方法がよくわからんかった。だがなかなかに面白い。まだ未完成だが、完成したら購入したい感じ。ただ。…未完成版なのでしかたないですけどぜひぜひ完成版では改良してくださいね、買うからね(笑)、とかアンケートにも書いたのだけど、「赤」と「緑」のカードが僕にはほとんどまったく判別できず、ゲームでは直接的に困った。僕程度の赤緑色弱で“まったく判別不能”はまずいと思う。でも、カードゲーム系で、こういう問題が存在していることに気づいている人、ってどのくらいいるんだろうね。
紅龍アコースティックライブ@自由が丘マルディグラ(11/22)
■しあわせだったー。今年の“最高”はこの夜のための呼称としておこう。ただでさえ最高なライブセッション。しかも、あの! 紅龍さんと! この距離で! この人数で! しかもビールを酌み交わして! きゃー! ミーハー炸裂でごめんなさい! 浮かれてごめんなさい! 調子に乗って玉川上水の会話に割り込んでごめんなさい! うわーわけわかんねー! (若者言葉で言うところの)やべー!…
■って、紅龍(こうりゅう)さんってご存じですか? あー「どの紅龍?」って言われそうだな。上々颱風の紅龍、といえば知っている人は少しは増えるのかな? 沖縄とかワールドミュージックブームの先駆けとか、まあいろいろ言われてるけど、多国籍かつ無国籍でありながら、それぞれのメンバーが依って立つ場所の土の匂いを濃密に感じさせる、独特の音楽をやるのが上々颱風。そのリーダーであり、ソングライターでもある方なのですね。
■上々颱風とわたくしの関係はと言いますと、中学校の頃からはまり、毎度のことながら模範的ではないものも*1、なんだかんだで未だに聴いている、息の長いファンをやっているのでした。
■その“しあわせな日常と美しい世界”から“酸鼻で哀しい現実”までが一直線につながった、泥臭くも美しい日本語で記された世界。それを思うとき、結局その周囲をぐるぐる回っているのが、僕の人生だったという気もします*2。まあそんなものに勝手に巻き込まれても、困ってしまうかも知れませんが、勝手に人生に巻き込むのがファンの特権と言うことでお許しください、という感じです。
■の、紅龍さんが、たった15人のお客さんの前で、しかも決して手を抜かないちゃんとしたアコースティックライブを、演じてくれているのです! 一緒に酒を飲んでいるのです! すげえ!
■でもこうして初めて、僕にとってのある種の神・紅龍、だったその人は、目の前に実在の人物として現れたのでした。やっぱり年期と才気にあふれたすごい人で、でも年齢なりにどこか疲れがあって、すけべえで、でもやっぱりすごい歌を作っていて、歌っていました。
■たまにはいろいろこうやって小規模のライブをやっているらしいので、また行きます。
完売記念セッションを思い起こす(前)
※いまさらではありますが、せっかくなので、10/10に開催された完売記念セッションの話。
■「今、すべての状況は絶望的な結末へと一直線に向かっています。この状況をどうにかできるのはここにいる皆様しかいません。」
■初めての方たちが多かったので、セッション開始の開口一番をこんなふうにしてみた。これは要するに、僕はこういうゲームマスターですよ、という宣言である。けれども、ずいぶんしっくりしすぎていて、内心笑ってしまった。そして月夜埜綺譚というシステムが、どういうマスタリングをすることをまず考慮して作られたかも、如実に表してしまっているような気がして、個人的に面白かった。
■さてさて。
■取り壊しが始まろうとする古い団地。解体工事を拒み、団地に居座り続ける足の不自由な老人。挫折感の中に生きる神経質なホームヘルパーの女性。「ビッグになるんだ」が口癖の愚かな若者。解体工事をめぐって背後で動く汚いお金と、あわれな幽霊。相次ぐ独居老人の孤独死。微妙に揺らぎ始める“世界の法則”。それを守るために派遣される幼い暗殺者。いつか誰かが託した夢と、後出しじゃんけんであしざまにののしられる“破れた夢の始末”。…そのすべてが絡み合い、すべての人々が誰にも望まれない悲惨な死へと突き進んでいく。
■初めてのお客様が多いセッションで、こんな地味な話でいいんですか? と2秒ほど考えたりもしたのだけど、いやいやだからこそ“月夜埜綺譚の真髄”でお相手しなければならないのじゃぁ! と思い直し、シナリオは一気に書き上がった(笑)。世界を救ったりはしない、目くるめくような運命も、燃えるような恋も無い。無視したところで新聞の3面を2日ほど飾れば忘れ去られてしまうような悲劇のために、主人公たちは立ち上がる。こーゆーのこそが燃えるのだぁ! と思いをこめ、月夜埜綺譚ライクに仕上げた。*1
■状況は状況としてあるだけで、警察の動くような事件性はあらかじめ用意されてはおらず、主人公たちはそこに絶望のにおいを嗅ぎ取って、未然に防がなければならない。そして事件は“誰も死ななかった連続殺人事件”のように変遷していくこととなる。が、しかし。月夜埜綺譚のセッションで、マスター側が想定する展開なんぞがおとなしく流れていくはずもなかった。
■ちなみにPCのうちわけは以下の通り。音楽ブログを経営する主婦、月夜埜署生活安全二課の巡査、長谷部大学病院に勤める看護師、そしてなぜか傾国的美貌を持った落語家。
■彼らは初っぱなから飛ばしていた。導入ターンからレベル3レイズ*2が飛び交い、なぜかPC一堂が合コンで盛り上がり、さらに当初から登場していたNPCの設定や裏話、事件の大まかな真相はほぼ2ターンで出そろってしまった。老人の悲しい過去も、ホームヘルパーが為した過ちも、若者の愚かな暴走も、すべてがセッション開始日*3の夕刻には明らかになっていたのだ(笑)。
■しかし“過去”と“現在”は必ずしも重なっていないし、過去や理由を追いかけたところで、行動までは予測しきれない。若者がナイフを持ったまま行方不明になり、謎の少女幽霊は現れ、事件を終わらせるために“世界を統べるよくわからん組織”から暗殺者まで送られてきて、事件はいっそうぐるぐるになっていく。必死の捜索行の果てに、少女幽霊と孤独な老人の人生の哀しい交わりを見つけたPCたちは、殺意と絶望にまみれた若者と、暗殺者の前で“物語”を一席ぶつことになった。
■それはその場所に託された夢の話。しあわせな生活を願ったちっぽけな男の挫折と苦渋。愛することを誓った愛娘にまで先立たれ、男は暗闇の世界をはいずり回る。けれど死を前にして男はその場所へと戻ってくる。たとえその場所が彼に苦しみしか与えないとしても、その託された夢を、痛みを、忘れないために。そして男は愛娘と、その場所に託された思いと、再会することとなる。
■その物語はのちに「団地夜話」と名付けられることとなった。
■…そんなセッションでした。
■ゲームマスター的にはひたすら舞台装置を伝えることと、状況をかき混ぜるちゃちゃいれを延々とやっていただけなんだけど、気がつくとこんな話しになっていました。つーか月夜埜綺譚のGMって、舞台装置を伝えることと、状況をかき混ぜることが仕事なのかしらん、とか思いながらやっていました。すばらしいセッション。それにしてもお初の皆様のルール理解度の高さには舌を巻きましたけども。
■面白かったり、盛り上がったり、いろいろ発見があったセッション。そしてさらにお客さんとしてきていただいた購入者の方のマスタリングによるセッションが始まったのですが…
■この稿、つづく。
*1:と、言葉で書いてしまうと、妙にこっ恥ずかしいけど、そういうヒロイックを実現させるためのゲームなんですよう。そういうの現代物でなかったから作ったんですよう。うんうん。ファンタジー系でやるとしたらウィッチクエストかしら。…でも初期のテストプレイセッションは、世界の趨勢をかけた危機もの、をやったなあ。一組の壊れかけた家族を壊れないように見守ること、が世界を守ることにつながる、という妙な話だったけど。
*2:レイズ:月夜埜綺譚の行為ロール時に行うオプションで、難易度を自らつり上げることにより超越的な成功をプレイヤー自ら発生させることができる。ちなみに1レベル:普通のゲームのクリティカル、2レベル:現実の垣根を越えたご都合主義的なのもOKな成功、3レベル:奇跡、4レベル以上:世界の再構築、ないしは危機。ちなみにモーセの海を割る神事は、4レベルのレイズに成功したものと見なされる(冗談ですが、ルールブックにそういう表記があります。)。
*3:これはゲーム内時間のこと。「昼」でセッションがスタートし、その次のターンの「夕」にはほとんど情報が出そろっていたこととなる。
サタスペのこと。あるいはゲームマスターは何をたのしむのか(TRPGと物語(xvi))
■僕もいろんなシステムを解析してきたが、ことシナリオ記法という象限で衝撃を受けたものはあまり多くない。*1ひとつには、明確なシナリオ記法がルール化されているものが少ないのがその原因と思う。シナリオをどう書けばいいのかを考えることすら、オフィシャルのシナリオ記法を解析するか、アマチュアが自分で理論化するしかないものが未だにあるわけだし。*2あともう一つには、ダンジョンエクスプローラ型についてはもうン年もやっていてとくに感銘を覚えることが少ないから、というのもある。ま、このへん目が曇っている部分はあるかも知れないので、少しくらいまゆにつばをつけて読んでくれると助かります。
■最近の衝撃を受けたシステムとは「サタスペ」である。世界観こそ癖があって人を選ぶが、“ルール自体がゲーム世界の雄弁なる表現者であること*3”、“簡潔にして必要十分な実装によりプレイヤーのゲームに対するイニシャルコストが低く、かついくらでも奥深くやれる拡張性の高いルール”、“ルールにきちんと実装され、音楽性すら感じなくもないリズム感”、“システム箱庭型シナリオ*4を完全に採用できる、ゲームマスターのプレイアビリティが極めて高いシナリオ記法”、と、まさにモダンと呼ぶのにふさわしいシステムである。*5
■そのなかでもとくにシナリオ記法は特筆に値する。なにしろ、やろうと思えば、“ボスに至るためのセキュリティランク*6”、“ボスの戦闘データ”、“ボスとPCの関係”さえ記述すれば、もうきちんと完成した遊べるシナリオとなるのだ。もちろん様々にドラマチックな仕組みをシナリオに内包することは可能なんだけれど、それらは概ね、上記の3項目にGMが必要とする分だけ追加すること、のみで盛り込むことができる。設定、進行管理系、ランダムイベント表、キャラクター表記その他のマッチングがきちんとシナリオ記法に昇華されているのだ。*7
■ここで面白いのは、デザイナー氏自身が、きっぱりと、自分だけのオリジナルシナリオを作ることはとても楽しいことだ、と書いていること。*8もちろんゲームマスターをやっている人々の多くは、ゲームマスターをやることに楽しみを見いだしているはずである。僕もそうだ。でも、何が楽しいんだろう? と考え始めてしまうと、様々な迷宮が待ちかまえていることとなる。そしてシステムを作ると言うことは、このただでさえややこしいゲームマスターの楽しみというやつを、ある意味でプロデュースしなければならないことを含むわけだ。*9
■ちなみに、言葉にしてしまうと簡単で当たり前のことなんだけど、「物語やるTRPG」のゲームマスターがたのしむポイントは、「その場に物語が立ち上がってくる瞬間に中心人物の一人として立ち会う」ことなのだろう。そしてそれはほとんど、立ち上がってくる物語の第一の読者になることに等しい。あくまで中心は“作者”ではない*10のだが、舞台設定やPC以外の登場人物のデザインなどはゲームマスターが行う。これを乱暴にまとめると、ゲームマスターの好みの舞台をセッティングし、そのステージ上でみんなで物語をもり立てていく、のがゲーム風景になるのかもしれない。
■僕のようなコアなファンじゃない人間がこういうことを書くのも何だが、様々な課題をプレイヤーにぶつけて「さぁどうする?」とにんまり待つことの楽しみを、徹底して追求したのがサタスペなのかなぁと考えている。PCを殺せ! とかいろいろ物騒なことが書かれているが、そこに発生する悲喜こもごもを、ゲームマスター自身が楽しんでよい構造をシステムが保証しているサタスペはやはりモダンである。ハプニングもバッドエンドさえも「まあこういうものさ」と笑い飛ばせ、と言い切れるのは、そういう様々なレベルでの受け身の楽しみをきちんと用意してある部分に裏打ちされているのだろう。
■ゲームマスターは楽しい。けれどそれをきちんと表現するシステムを作ることは、様々に総合的なデザインを要求される難しい部分だ。けれど、別にゲームマスターに接待するようなシステムである必要はないものの、これはほとんど肝である。
■ところで、様々なマスター向けのガイドで、しばしば言及される“物語”という概念。僕の無知もあって今回ほとんど取り上げていないシーン制なども、物語性へ向き合う一つの方法論として作り上げられたはずだ。どうやらTRPGにおいて物語性を持ったセッションを行うことは面白い、というのはほぼ共通概念と言っていいと思う。それが用意するものであれ、振り返るものであれ。今回取り上げたサタスペとて、振り返ってみればどたばたのあるいはしんみりした物語が自動生成される仕組みに優れている。しかしじゃあTRPGで扱われる物語ってのは、いったいどんなものなんだろう。
■ここ数回、システムをめぐる抽象論や原理にこだわり過ぎた感もあるので、そろそろ次回あたりから物語とTRPGシステムの直接的な関係に触れていってみようと思う。そして、「物語やるTRPG」におけるプレイヤーはいったい何をして何を楽しむのか。実のところそのあたりのヒントを、あろうことかヲタクの祭典コミックマーケットの会場で様々に気づくことがあったのだけれど…。
■というあたりで、つづく。
*1:僕は一介のTRPG郷土研究家で、特に海外物は日本語版ルールのないものを遊んだこともないけれど、それは置いておく(笑
*2:よく思うのだが、賛否両論名高い馬場氏のマスタリング講座の内容は、優れている優れていない云々に関わらず、ルールがシナリオ記法と直接向き合うことの少なかった暗黒時代の一つの証左ではないだろうか。アレを読んだ人ってまずこんなこと思いませんでした? 「えーっ? ゲームマスターってこんなに大変なのぉ?」って。でも言葉にするとあんなに長くなっちゃうようなことを、ちまたのゲームマスターは多くこなしていたりもしたのである。それもまたすごいことだった。自分のことは横に置いておいて。
*3:その雄弁さは世界設定なんぞ特に読まなくてもいいくらい練られている
*4:前回定義したとおり、シナリオの解法をPC記述とそこに表現される世界にゆだね、シナリオに“課題”と“課題とキャラクターの関係性”を記述すれば用の足りるようにして、プレイヤーの物語的創造性を引き出そうとする、という物語指向型のシナリオ形式。
*5:まあデータが本当にたくさんあるので、経験に差のあるプレイヤー同士がいっしょにやるとそれなりに配慮が必要になっちゃうのだろうけど。念のため付け加えておくと、モダンさに感動はしたものはそうなんだが、別に瑕疵のない完璧なシステムだぜーと思っているわけではない。
*6:セキュリティランク:情報が得られる所在を表す指標。趣味と能力、情報ルールを用いてそのセキュリティランクにたどり着くことができれば、情報が得られる。たいていはボスの所在やボスとのコンタクト手段を探すこととなり、当然弱点とかもそのあたりに含ませたりすることもできる。
*7:もちろんこれはサタスペがB級映画の体現をめざし、原則としてラストバトルで殺し合うというコンセプトだから可能になったことだが、似たような目的のために、覚えなければならないルールが数倍に達し、シナリオを組む手間が何十倍、何百倍にもなっているものはいくらでもある。
*8:ちなみにネット上での氏の発言においても、そういう明言は随所に見られる。ゲームマスターを誰かにして欲しいと願う人が、こういう言葉をはっきりというのは当たり前のように見えて実は結構難しい。商業ルールでこれを言うことの難しさもまたひとしおであろう。いらん心配か(笑)。でもこういうことを言い切ってるシステムは、確かに少ないですよ。
*9:最近のプロのものにはないと思うが、こういうゲームマスターを楽しませる思考のないシステムは、ゲームマスターをスケープゴートにしてゲームを成立させている、と言われても仕方がない。そういうTRPGこそクソゲーの名にふさわしい。自戒したいところである。
*10:まあ作者ってのはたいてい第一の読者なんだが、というふうに僕は思うんだが、ちまたの小説作法を読んでみると案外そうでもない世界もあるらしいので、いちおう。
シナリオの種類をもうちょっと分析する(TRPGと物語(xv))
■前回、シナリオの種別についてちょっと書いたのだけど、わかりにくいと反響があったので、もうちょっと体系付けて書いてみることにする。ちなみにこれは、あくまで同人的TRPGシステムを製作する側からの視点であり、プレイしたりシナリオを書いたりする立場による思考とは若干異なるであろうことを前もって書いておく。また固有名詞は、わかりやすくするために僕が勝手に整理したもので、他の世界で他の名前で呼ばれてたり、違うくくり方で整理されていたりするんだろうけど、まあそこは勘弁してくださいな(w あと前と同じこといってる部分も(w
ダンジョンエクスプローラ型
■「範囲が限定された自由に行動を行える部屋*1」と「部屋同士をつなぐ数の限られた通路」*2、それから「部屋と通路を取り巻く設定内容」という表記法で作られたシナリオのこと。D&Dの時代からあるもので、誰が用いても再現性の強いセッションを行えるという強力なメリットがある一方、作るのが面倒くさいというデメリットもある。もっとも前も書いたが、作るのが面倒くさいというのは販売側にとってはデメリットばかりではない。
■当初は文字通りダンジョン(地下迷宮)を探索するセッションを行うために作られていたが、部屋を街や空間に、通路を街道にするといった様々なサブセットを生んでいくこととなる。ここで、部屋の領域をGMの処理の限界まで広げたのが「箱庭型」と言えそうだが、これは別項で扱う。
■このうち特徴的なのはいわゆるシーン型のシステムである。シーン型においては、通路が主に時間の非可逆性の意味から一方通行とされており、分かれ道はストーリー上の分岐として現される。また部屋は“シーン”と呼ばれるある区切りを持った、しかしその内側にある限りは自由に行動できる「物語的まとまり」として記述されている。自由度と制限の絶妙な兼ね合い、そしてその再現性の高さにおいて多くの支持を集めていることは皆様ご存知のとおり。
- 物語指向型ダンジョンエクスプローラ
- ある秩序、主としては時間、にそって並べられた、非可逆な物語的分岐と散りばめられたイベントによって作られる、インタラクティブな物語を味わうための様式。しばしばダンジョンなんかもぐらないのだが、その記法を良く見ると、なぜかダンジョンに一方通行の通路をつけたものに酷似する、という面白い特徴がある。しかし物語分岐をダンジョン的な通路としてきちんと機能させるのは難しく、しばしばGMの制御不能方向へと話が膨らむ恐れがある。システム的な援助としては、なんらかの進行管理形を用意しておいたほうが機能しやすい。…こちらのサブセットとして主に「拡散型」「収束型」「ウェブ型」の三つの様式がある。
・「拡散型」はツリー図状に広がっていき、最終的に様々なエンディングをプレイヤーに与えるもの。
・「収束型」は結論がひとつであるものの、様々なルート選択などの見掛けの自由度を持ち、十分納得できる形で結論へと導いていくもの。
・「ウェブ型」は「収束型」の亜種で、「部屋」のなかにさらにある程度行き来できる蜘蛛の巣状に描かれた「通路」と「部屋」を入れ子にもち、物語的なホールドポイント*4をクリアしていくことによって、最終的な結論に至る。…実際には、これらの様式が純粋な形で使用されることはあまり無く、いろいろ折衷したり入れ子になったりしてそれぞれやっていくことになる。
- シーン制シナリオ
- 物語指向型に、「シーン」という強力な進行管理系をシステム的に用意し、その特質から逆説的にシナリオを構築していくシナリオ記法。メリット・デメリット・精神を含めて間違いなくダンジョンエクスプローラの流れを汲むのだが、物語指向型の機能が必要十分にそろえられており、見かけの記法も若干異なるように見える。…そのネーミングからよく映画的なセッションを実現云々と語られるが、システム的には「どのPCがその“シーン”に登場しているか」を徹底して明確化した様式である。この機能により、GMは物語指向型ダンジョンエクスプローラで本来必要な「通路」の制限力の強さを「登場」によって明確に仕切ることができるうえ、任意に他のPCがそのシーンに割り込む自由度を与え「部屋」の見かけ上・演出上の自由度をはるかに拡大した。GMの管理を逸脱しそうになるシーンはGMが、そんなシーンは無い、と描かないか、シーンへのPCの「登場」を禁止すれば実現できる。さらにハンドアウト*5やスタイル*6などのシステム的補佐により、「通路」や「部屋」の外壁の強度は並みのダンジョンよりも保障されており、仕組み上、高い再現性を持ったセッションを行うことが出来る。*7
箱庭型
■ある有限な自由に行き来できる空間を設定し、そのうちに「時間をトリガーに変遷していくイベント」「PCの行動をトリガーに変遷していくイベント」などを配置し、PCの自由な行動によって様々な物語的発見がなされていく、というシナリオ記法のこと。これらの「〜で変遷していくイベント」は、人間の行動原理や人間関係で示されることが多く、処理し切れれば、きわめて多彩な自由度の高いプレイングを行うことが出来る。システムとしては、箱庭を作りやすい背景設定に努める、ということになるだろう。もちろん、ある程度の物語が自在に織り込める箱庭を事前に用意し、それをアレンジメントすることがシナリオ作りである、というふうにするものも多い。
■例示してみると、キーになるキャラクターが三人いるとして、Aにした行動、Bが背景で行う自動行動、CがPCに対して行う行動、が個別にあったりして、それらの変遷がどのような相互影響系をもたらしていくか、といった複雑なことを、「箱庭型」のシナリオ記法ではしばしばリアルタイムで処理することを迫られることになる。実はこのことは他のシナリオ形式においても多かれ少なかれあることではあるのだが、「箱庭型」シナリオはこの自由度を背景にした多彩な「関係の変化」に焦点が当てられることが多く、結果プレイの難易度を上げる結果になっている。
■ところで見てのとおり、「箱庭型」はダンジョンエクスプローラの「ウェブ型」シナリオ記法のサブセットのひとつである。「ウェブ型」を徹底し、なんらかの広い閉鎖空間を構築すれば、それは「箱庭型」と呼ばれるようなシナリオになるのかもしれない。しかし、その精神というか、シナリオ記述の目的性としては、割と大きく異なる。
■前項に上げた、いわゆるダンジョンエクスプローラの物語を指向する様式では「物語の展開」そのものをGM側から用意するための様々な仕掛けに彩られている。しかし「箱庭型」では、全般的な方向性があったり、オチ自体は決まったりしているものの、「物語の展開」そのものには表面的にはタッチしたがらない。ただ状況がある、というあたり、物語指向よりも、状況が柔軟に変遷していく目的指向型ダンジョンエクスプローラに近い*8。
■もちろんそうである必要は無いのだけど、「箱庭型」は「シーン制」などとは若干ずれた層に存在する、別種の「物語発見指向型ダンジョンエクスプローラ」といえるのかもしれない。事実、これは一部のコンピュータRPGによく見られる指向でもある。もっともほとんどのコンピュータRPGでは「箱庭」の見かけ上の自由度やヴィジュアルは強化できるものの、展開の多様性などはなかなか期待すべくも無いのだけれど*9。
システム箱庭型
■やりたいことや精神論としてはほぼ「箱庭型」ながら、システムによる補完によって、シナリオ記法的には全く異なった様式となるのが、システム箱庭型(仮称)である。*10
■システム箱庭型では、ゲームマスターがシナリオとして記述する必要があるのはほぼ“課題”と“課題とキャラクターをつなぐ関係”だけであり、シナリオの解法自体にはあまりタッチしない。なぜかといえば、解法自体は基本的にキャラクターに“能力”や“世界との関係*11”として内包されているからであり、このときプレイヤーは“本来キャラクターが持っているはずのこの課題をクリアする能力”を発見していくことが主要なゲームとなる。
■システム箱庭型をやろうとして設計されたシステムなら、ゲームの方向性やジャンルから作られた“その世界らしい解法”を追いかけることにより、ほぼ自動的に“ジャンル・世界の再現”が為されていく。ある意味で解法をオープンにして共有することにより、世界観の共有が簡単に為されるためだ。和マンチ的にシステムを追いつめていった結果、そのジャンルの最もカッコイイ解法が見つかった、というふうにすれば、とくにバランスの悪さを云々されることもない。
■システム箱庭型の最大の欠点はシステムを選ぶことだろう。実は、いかなるシステムでもシステム箱庭型をやろうと思えばできるが、世界観の共有をシステム以外のリソースに重い期待を寄せる、というのはシステムを作る側から見ればあまりよいアプローチとは言えない。またこのやり方は、プレイヤーの能力*12に期待する部分が多く、ダンジョンエクスプローラ系の各様式に比べると、プレイヤー自身がセッションを破壊することが容易である。
PBM型(?)
■前回「広域箱庭型」と称したプレイスタイルだが、PBM以外の様式であまり使用されている感じでもないのでこう称した。要素がたくさんある世界があり、それぞれのプレイヤーがそこかしこに干渉することによって、規模はいかようにあるにせよ世界の歴史が変遷していくような感じの様式である。一般にキャンペーンプレイでは常にこのような構造を持っているだろうけれども、各単体のセッションにおいてもこういったスタイルをとるのをPBM型と定義できるかな、と。
■この様式の特徴は、ほぼ世界自体がシナリオ・ゲームの課題・ないしは“状況”そのものであり、多岐にわたる条件に対して、キャラクターがどのようなアプローチをとっていくか、というのが主眼のゲームになる。そのため世界には強い可塑性が必要であり、可塑性の強い状況が大きく転変していく世界を描いていくことがゲームマスターに要求される。もっとも責任所在はほぼ半々の位置に保たれ、プレイヤーもまた世界の感触や世界の行く末について能動的に接しない限り、ゲームが成立しにくい。
■狭義のいわゆるテーブルトークRPGのような即時応答性が売りのゲーム環境では何かと成立しにくいが、掲示板プレイや、PBMにおいてはむしろ一般的なのではないだろうかと思う。即時応答性を気にしなければ、“答えのでない問題”に挑戦するのも大きな楽しみとなる。…ま、利点も欠点も上に述べたとおりだが、一つだけ注記するなら、ゲームとして成立するほどの様々な輻輳する葛藤に満ちた世界をデザインするのは、そしてプレイヤーの意志をまとめ上げていくのは、簡単ではない。
いろいろ細かく書いてきたけど。
(吟遊詩人、ランダム、フルアドリブは省略。)
■いろいろ細かく書いてきたけれど、実のところそれぞれの純粋な記法で書かれたシナリオというのもあまり無くて、ゲームマスターはろくに意識もせず様々なスタイルを混ぜ合わせたり使い分けたりしていることと思う。
■さてここまで書いてきて、システムデザイナーはどういったシナリオ記法で書かれるかどうかを、ある程度以上、あるいははっきりと想定しなければならないことは明らかだ。なぜなら、多くのシナリオ記法は、その記法を簡便にきっちりと書くために、必ずシステム的な援護を必要とするのだ。それはシーン制や単純ダンジョンエクスプローラに至っても大して変わらない。
■しかしそれ以上に僕は思うんだけれど、できればシナリオを作ると言うことを、あるいはシナリオを元にセッションすると言うことを、少しでも実りの多い“楽しい”行為にしなければならないのではないか。みんなの楽しい時間を作り出すことができた、より面白いことを、シナリオ記法は“生み出しやすくするシステム”として形成されていることが望ましいのではないか。
■簡単な話ではないし、システムデザイナーが何を楽しいと思っているか、というある意味実存を問われる(笑)課題でもある。
■僕らが作った月夜埜綺譚のルールブックには“あなたが何を見てそれをどう感じるのか、それをプレイヤーたちと交わすのはとても楽しい”という趣旨の一文がある。そう思う(笑)。しかしもう一つきちんと書いておけばよかったと公開していることなんだけど、プレイヤーの方々が何を見てそれをどう感じているのかを発見していくのは、やはりとても楽しい。
■そんなわけで、次回は商業で流通しているシステムや月夜埜綺譚のシステムを鑑みながら、シナリオ記法とその楽しみの文脈をちょっと探ってみる。予定。
■つづく。
*1:部屋の中身を探索する、とか、そのシーンで描かれている会話に参加する、といった大枠では決定的に制限されているのだが、その大枠の中では実質的にどんな行動をとってもかまわない、という自由度が同居している空間を、ここでは「部屋」と読んでいる。
*2:部屋と部屋をつなぐものであり、岩壁やストーリー上の要請から、それ以外の分岐(たとえば通路の壁をぶち抜く)を禁止された制限空間、をここでは「通路」と読んでいる。だから、ややこしいけど分岐点になってるT字路とかはむしろ「部屋」になる。
*3:つか、遊びたい。が、仲間がいない。
*4:フラグ処理のように、ある「ウェブ」から次の「ウェブ」へと移る条件を満たしていないと、状況が進展しないことをこのように表現した。
*5:あえて説明するまでも無いけど、PCのそのシナリオ上での立ち位置を規定する事前情報のこと。ちなみにセッションをある程度高速化する機能があるので、他のシステムでも使いでのいいものではある。
*6:ルールとして作られたPCの行動様式。必殺技などによっても補完される。
*7:シーン制を最初に解析したときは感動したものでした。それはさておき、どうしてシーン制をとっているとされるシステムの多くが、最終的にラストバトルで物事を解決する様式を取っているのかは、割と謎です。もそっとFEAR系ゲームを遊んでみるほかないでしょうね。
*8:ダンジョンはその性質上、行ったりきたりすることも許されている。いっぽう物語指向では基本的に通路は一方通行だ。箱庭は内部は少なくともある程度の自由が保障されているわけだ。問題は箱庭型はダンジョンよりもはるかに要素が多く、時間がもたらすものをどう管理していくか、ということに頭を悩ませることになること。
*9:おそらくこの数少ない例外が、ガンパレードマーチや絢爛舞踏祭になるのだろう。かの作品群がTRPGを強く意識して作られたことはもはや有名だが、確かにシナリオ記法の点で、ある種TRPGそのもの、である。なにしろお地蔵さんプレイヤーへの対処までなされてるんだから(w
*10:ここまでの迂遠な書き方で一部の方はお気づきのとおり、現在構想中の「物語やるTRPG」において、システム箱庭型が一番適しているのではないか、と今のところ仮定している。そのあたり眉につばを付けて読んでいただきたい(w
*11:有名NPCをキャラクターの能力の一つとして内包させるコネ系のルールとかが一般的かな?
*12:基本的にはルールや世界の運用の問題。世界観の共有を簡便にすることで、世界を巡る責任の所在がゲームマスターからプレイヤーにかなり移るのだが、そういうプレイスタイルになれていない人も相当数いそうだ、ということでこんなことを書いていたりする。実情と違ってたらごめんなさい。