月夜埜綺譚ができるまで(ii)


■前回までのあらすじ。

TRPGから遠ざかっていた現場作業員Hは、アナログゲームと読書*1を友に暮らしていた。そんなある日、英雄物語のできるTRPGを作れ、という何者からかの天啓を受けたHは、思わず一晩でアウトラインをまとめてしまう。それは、現代日本郊外の日常に生きるリアルなキャラクターをつきつめることで英雄物語をやろう、というえらくニッチなアイデアであった。さらにわずか三日でMRS-Liteというシステムのアルファ版を完成してしまったHは、自らが生み出したはずのそれを見ながら当惑を隠せないでいたのだった。これは…なんだ?

■つづきです。

第一回テストプレイを終えて

■テストプレイの結果は、そう悪いものではなかった。TRPGやるなんて○年ぶりだよー、という人たちに、悲劇的な時間を提供するという恐れはひとまず払拭された。しかしすでにいくつかの問題は明らかになっていた。

■よかった点

1:基本的に、コミュニティとスキル*2を消費して行うベット&レイズ*3がゲームの肝になるため、このベット&レイズをいかにしてどのタイミングで行うかの資源管理が面白かった。

2:普通の人を遊ぶという奇抜な設定だったが、思っていたよりもスムーズにシティアドベンチャーができた。

3:判定や戦闘時の状況が、すべて4つの能力値を基本とした体系でまとめられているのはシンプルでよい。

■わるかった点

1:プレイヤーキャラクターの生活が窮屈に感じられた。また、プレイヤーの生活の指標が実時間で表現されているため、リアルなのはいいが、その処理もじゃっかん煩雑に感じられた。*4

2:戦闘が大変で厳しすぎる。気持ちよくかっこよくやりたい。

3:情報収集の場面で、案外、方法論が限られて感じられた。もう少しいろんな様式の情報収集はできないか。

■まあ総評すると、資源管理の厳しい、わりとやりやすい、でもちょっとクラシカルなゲーム、という感じだった。正直これは面白い評価ではなかった。思っていたイメージはもっともっと軽量なシステムだったし、それでいて、プレイヤーに自由を感じさせるものでなくてはならなかった。この状態でも十分遊べるだろうが、いわゆる上級プレイヤーの手慰みになるのが精一杯だ。もっとルールを重くしてでも、簡単なものにしなくちゃいけない、と感じた。けれどゲームとして廻ったことには感心されたし、感心した。悪くない感触はあった。

そもそも、これはどういうゲームだったのだろう

■少し、時間を巻き戻す。何かが降ってきた夜と、それからの狂乱の三日間、それからさらにテストプレイへ向けて実装を整理していた頃の話。

■MRS-Liteは背景世界を練っていくうちに、月夜埜綺譚-StrangeDays-(仮)というタイトルになった。のちにStrangeDaysという映画があることを知って現在のタイトルになったが、それはさておき。

■このTRPGの大本となるコンセプトワークを整理すると、英雄物語をやろう! である。英雄物語をやるためには、普通の人が生きている現代の街がもっとも向いた題材である、と少なくともそのときの僕は確信していた。現代日本の中でも舞台が郊外の街になったのは、まず郊外を舞台とした参考になる多くの傑作が存在していたことと、生まれてからずっと郷愁を寄せる場所であり、好きで、よく知っていたからだった*5。ついでにブギーポップの流行のおかげで、人を引き込みやすいのではないかという打算もあった。*6

■それから似たようなTRPGはないか確認していく作業に入る*7。このために評判をWebで確認してから、ポンポンポーンとTRPGのシステムを買ってきたりして、遊ぶためでなく、熟読したり。もちろん自分が持ってるやつも熟読。ネットで自由に読めるフリーのTRPGシステムは30種類くらいは読み、ゲーム性や背景世界に類似の雰囲気を感じた場合はさらに精読した。また、いままでになくTRPG評論とやらを読みあさったりもした。

■結果として、一番ゲーム性が近いシステムは<クトゥルフの呼び声>だということがわかった。わずかに<ダブルクロス>が似ているが、ゲームの主眼は全く違う場所に置かれている。同人システムでは<サタスペ*8に若干類似の雰囲気がある。ただ<クトゥルフの呼び声>の主人公たちは、ルールではなく行動宣言によって自ら奇跡的な現象を起こす必要があり、それは高いレベルではまると大変面白いのだが、はまらないとセッションが停滞するかあっさり瓦解する。この<クトゥルフの呼び声>に対する不満、は使えるぞ、と思った*9

■そしてもうひとつの結論として、同様のゲームは、おそらく存在しない。<クトゥルフの呼び声>でも無理すれば遊べるだろうけど、このゲームコンセプトを実現するのはかなりアクロバティックな運用が必要になる。オウケイ。世界にこのゲームを問う意味は、まだ残っているらしい。それは少し、残念なことでもあった。

■類似のゲームを研究しながら、月夜埜綺譚の骨格は少しずつできていった。コンセプトを読み砕いて、おおむね以下の要素が抽出されていた。

「英雄物語をやるために、ただの人を可能な限りリアルに描くこと」
「ただの人は、ルール上も、ただの人である限り、ただの人であること。その束縛たるや通常のゲームの比であってはならない」
「ただし、彼らはゲームプレイヤーのメタ視と、資源管理によるゲーム的な挑戦*10により、ただの人を超えるための奇跡を発生させることができる」
「プレイヤーが、悪い状況で始まるセッションの風景を一体どのようにしたいか。そして、そのためにただの人がいかにただの人を超えるかを描くことを、背景世界的にも、ルールギミック的にも、ゲームマスター向けルールとしても作っていく」
「そして、プレイヤーキャラクターがあまたの束縛の中で、実感として“自由”を感じなければならない」

■まああれこれ精神論的なことを考えながら、コンセプトを世界観へと反映させ、世界観からルール上の実装を生み出していく、というプロセスを経ることになる。むろん、アマチュアの作るものだから、ぱくれるところからは可能な限りぱくるのだ! という精神である。

月夜埜綺譚のルールギミックの基本のキ

■そんなわけで、月夜埜綺譚の具体的ルールがどういう風にできていったか思い出してみよう。本当は、以下みたいにパーツごとに分解してできていった訳じゃなく、いっぺんにごちゃごちゃごちゃごちゃやっていたのだが、まあそれじゃ読み物にならないので。

進行管理系の作り方

■進行管理がないとゲームマスターが大変なので、進行管理系を作ろう、と思っていた。製作の最初の時点ですでに、「プレイヤーの行動機会は1時間単位につき1回、それを全員が行い、次のターンへ移る」ものにしようということは決まっていた。これには以下のメリットがあり、それはこのゲームのコンセプト上も大変優れていると思われたためだ。

1・日常生活と、非日常的な事件を並列して扱うため、ゲームの場全体に同じ時間の流れが生じている必要がある。たとえば、ある時間帯「月曜日の昼十一時」、サラリーマンは何をしているだろうか、学生は、主婦は、そしてできることはどう違うか。あるいはそれが夜の十二時なら、一人暮らしは自由に動けるだろうが、主婦は家族の目が気になるだろう。これらの差異を浮き彫りにする構造として、時間単位を決め、それごとに1回の行動機会を設け、今が何時であるかをルールとして固定する。*11

2・セッション上で、残り時間を意識に登らせる重要なギミックになるため、セッションそのものを進行する力があり、だれにくい。また、具体的な時間と関連させられるため、危機感の盛り上がり方に感情移入が発生しやすい。*12

3・チャットで遊びやすい。ゲームマスターはさておき、基本的にかわりばんこに行動すればよいため、プレイヤーの待ち時間における負荷が低く、コンピュータネットワーク上でのチャットを使ったシステムでの遊びに大変向いている。*13

■この進行管理系を生かすため、<コミュニティロール>と呼ばれる、“行動がそもそもできるかどうかを判定する”ルールギミックを設けた。たとえば職業や立場や人間関係により、行動できない時間が各キャラクターには存在する。それでも行動を起こそうとするとき、束縛を脱して行動を起こそうとするときに、まず、キャラクターに用意された行動制限に対して解除する判定に成功しなければならない、とした。

■実際には、たとえば女子高生が深夜に事件解決のためにでかけるとき、一緒に暮らしている両親にどのようないいわけをするか、というシーンを描くように作られた。彼氏の家に泊まりに行く、では反発(難易度が高くなる)があるだろう。けれど、行方不明になった友達の○ちゃんが○にいたってわかったの、ならどうか。あるいは、理由は言えなくても、強い目でいま出かけることが自分の人生にとって特に大事な出来事だと両親に伝えるのならどうか。

■…ルール的には、このような場合にマスターは難易度を宣告し、行動を束縛しているコミュニティで判定して成功すれば自由行動が可能、というだけのことなのだが、そこに人間関係の様々が浮き彫りにできることがわかって、やべえおもしれえ、と小躍りしながら作っていたことを思い出す。*14

■ちなみに、3回目のテストプレイ後、この進行管理系から発展して、現在<カレンダー>と呼ばれているルールギミックが導入されることとなった。カレンダーは、1日を夜・昼・夕の3つの時間帯で区切り、それぞれの時間ごとに行動が可能かどうかを「○」や「×」などの直感的な記号で描いたもの。もちろんそれぞれのますは、一回ずつの行動機会も意味している。これにより、コミュニティによる生活の束縛や、その解除、睡眠を巡る具体的なルール、それからターンごとの行動機会がどうなっているかについてプレイヤーが認識することが簡潔に行えるようになった。カレンダーシステムの完成を経て、月夜埜綺譚はバージョンをβにあげるのだが、これは後の話。

■もひとつちなみに、バージョン1.5では、これにクローズアップ進行という非カレンダー的進行管理系を選択肢として加えている。

ゲームと判定系とキャラクターデータを考える。

■分析していくと、月夜埜綺譚のプレイヤーにおけるゲームは「いつ資源を消費するか/資源は1度使えばセッション中は回復しない上に、キャラクターが以降弱体化する」という点と、「いつ資源を消費してゲームの進展に必要な高い段階の成功をねらうか/高い段階の成功には資源が必須であり、さらに難易度が高騰するため、うまい行動宣言を考えなければならない」という点にほぼ集約されていることがわかった。

■このため、資源を使わない通常の判定は「難易度が低くたいてい成功するが、大したことはない」というものになる必要があることはすぐわかった。逆に高い段階の成功は「(自分の宣言でつり上げるため)難易度が高く、資源をさらに使うか、うまい行動宣言が必要になるが、セッションの場を一変させる奇跡を起こすことができる」ものとなる。ここで肝になるのは難易度のプレイヤーによる操作であり、それをゲームとして成立させるためには、ランダマイザにほどよい安定性か、確率計算の安易さが必要だろう、と考えた。

■ところで僕が扱えるランダマイザは数が多くない。2D63D6と2D10(各上方下方*15)、それからD100のパーセンテージダイス。この四つ以外は、どうも感触がわからない*16。で、上記の条件を満たすものは、と考えていくと、まあどれでもいけそうだった。D6、D10によるものはベルカーブを描くし、D100は簡単に確率が計算できる。あとは勘の問題だった。結局、英雄志向のゲームだから上方無限が気持ちいいだろう、という低レベルな直感と、2D6はゲームの規模に対して振れ幅が大きいわりに動きが少ない、2D10は単に振れ幅が大きすぎる、D100は加算には向かないっぽい、といった(えーかげんな)理由で、3D6上方無限型に落ち着いていった。とくに8〜13の頻度の高さと、にもかかわらずその外の数値が出てしまうことが気に入っていた。いつでも成功できる判定は、実際ほとんど成功するんだけど、にもかかわらず判定のリスクを感じさせるに大変適任である、とか思ったのだ。

■ちょっと確率をうにゃうにゃ*17して、キャラクターが有利になる方向は「+3」で統一することにした。逆に不利になることは「-4」で統一した。同様にキャラクターの資源を用いて行われる<ベット>は1段階ごとに判定値が「+3」されることとなり、難易度のかさ上げである<レイズ>は1段階ごとに判定値が「-4」されることとなった。

3D6を採用した時点で、一般的な目標値を「15」とすることにして、これを「ちょっと難しい」に定義し、そこから能力値の数値を逆算していった。それなりにプロで優れているレベルを「3」にしたかったので、<能力値>+<スキル:3レベル>+3D6を一般的なモデルとして考えていくと、<能力値>+<3レベル>=10のあたりに気持ちのよいポイントがあることがわかってきた。

1・目標値15の通常判定はほとんど成功。3D6>4:だってプロだもんね。
2・1ベット1レイズ(+3と-4)だと、3D6>5:ま、プロなんだし資源使うんだから普通のクリティカルくらいは。
3・1ベット2レイズ(+3と-8)だと、3D6>9:いきなり難しくなったね。やはり2レイズからは奇跡が起きる、とするのがよいのだろうな。*18
4・2ベット2レイズ(+6と-8)だと、3D6>6:たぶんいけるけど自信ないね。しかも2点も資源使うし。
5・以下…

■とすると、能力値は標準が7点。振れ幅は-2〜+2がよさそうだ。MaxとMinではかなり確率に差がつくから、勢い、ある程度協力しないとできないタイプのアプローチが生じてくるようになり、自然に役割分担が生まれそうでもある。しかも能力値はいわゆる能力ではなく、アプローチの得意不得意だから、「強面ふうのアプローチが得意」なやつと「色仕掛け系で搦め手なアプローチが得意」なやつが、それぞれ得意な局面で分担し合って行動する、というのも面白そうだ、と思った。

■最後までもめたのだが、テストプレイの頃には能力値は4つでまとまっていた。「鋭・胆・技・芸」である*19それぞれ「鋭い動き/舌鋒/速さ」「安定感/包容力/重さ/強さ」「技巧的な動き/口車/器用さ」「感性/優しさ/曖昧さ/謎/芸術性」などのニュアンスを込めた。たとえば「小手先のくりごとでごまかす」なら「技」で判定、という感じである。また、それぞれの能力が得意な状況として、外界の「状況」を示す名称ともした。たとえば戦闘時に状況が「鋭」だったら、速さが有効で、攻撃的な鋭い動きが有利になるような状況、という感じで、よくある状況を4つに区分して、その能力値を使えることが有利になるようにした。

■この能力値に従って、スキルや武器などについても、ある能力値でしか使えないように区分して、ゲーム的な有利や不利、あとロールプレイ支援をはっきりさせることにした。たとえば<弁論|鋭と技><発見(さがしもの)|胆と技><魅了|技と芸>みたいに。いっぽうで人間関係を示すコミュニティに対しては、便利であると同時に、コミュニティに対するいろんなアクセス手段もみたかったので、能力値を特定することは避けた。

■実のところこの能力値システムが、人間関係と個人としての能力を同じ数値ベースで扱おうという発想から生まれた、というのは、我ながらなんだか面白い。ちなみに慣れてくると、すごくリアルに普通人を記述できるようになって、自分を作っては少しへこんだりする。*20

そんなこんなで

■この段階で、月夜埜綺譚のプレイヤーサイドのルールはおおむね以下のように固まっていた。

■社会的立場とそれによる行動制限/行動可能時間帯、複数の人間関係に属することに依る束縛とメリット、個人の能力、アプローチ手段の向き不向きを決めた鋭・胆・技・芸の能力値、武装、生命点でできた、ただの人がプレイヤーキャラクター。

■ゲームはターン制を取り、1ターンに1回、全てのキャラクターが行動できる。ただし行動をする際に、キャラクターの生活を確認し、場合によって行動を可能にするために判定しなければならない。失敗するとコミュニティのレベルにダメージを受け、コミュニティのレベルがなくなれば死亡する。

■判定は<能力値>+<スキル/コミュニティ>+3D6の値が15を越えることを目標に行われる。(行動がうまい場合は12、まずい場合は19となる。)さらに、資源を消費することによって判定値を+3させる<ベット>と、判定値を-4していき難易度をつり上げて高い段階の成功を起こす<レイズ>のルールギミックを設け、決めのシーンではレイズによる奇跡が起こることによってゲームが進展していく。

■もちろんこれは、ルールの中核ではあるものの、やはりごく一部に過ぎず、まだまだ作らなければ行けない部分が多くあった。たとえば、ゲームの背景世界のもう少し具体的なディティールと、キャラクターがどのように背景世界を使うことを許せば、楽に深く遊ぶことができるか。それから、プレイヤーの行動宣言の様式を決めることにより、ゲームマスターとのインターフェイシングを整備し、スムーズな行動判定と難易度の宣言が行えるようにすること。もう一つ、ゲームマスターはこのゲームのどこにおもしろみを感じることができるのか。戦闘や各種の数値バランスの整備、キャラクターメイキングのバランス等はもちろん。

■そしてこれらを総合して、簡単かつ高速に、デザイナーが考えている目的である“ある種の英雄物語の発生”とそれをめぐるプレイヤー同士の交流に、参加メンバーのリソースをどれだけ集中させるものを作れるか。*21そしてそのゲームは、面白いのか。

■のべ20回以上のテストプレイを経て、月夜埜綺譚はこのあたりの課題に挑戦し、それなりに成功し、それなりに限界を思い知らされていくことになるのだが…。

■というあたりで、最終回へと続く。

*1:そのころ読んでいた本は東京近郊各地の郷土資料とみすず書房系が多かった。我ながらよくわからんチョイスではある。

*2:コミュニティ、スキルとも、キャラクターの能力の指標で、この値を元に行動判定を行う。人間関係の制約と権限を表現したコミュニティと、個人としての能力を表現したスキルが、まったく違うものなのに同じ種類の指標として用いることができるのは、このゲームのうりの一つではあります。もっともこれが“うり”と感じられるのはシステムマニアの人だけだろうけど。

*3:ベットは、そのコミュニティやスキル、生命点を消費して、判定の数値をブーストさせるルールギミック。ちなみに使ったら、セッション中はほとんど帰ってこない。レイズは、ベットを前提に、難易度を吊り上げることをプレイヤーが宣言するギミック。成功すると成功段階をあげることができる。ちなみに物語を動かすような大きな判定は、すべてレイズが絡む。

*4:また、感想に揚げられたわけではなかったのだが、現代の町、というものに対してそもそも各員が描いているイメージが違うということは浮き彫りになっていた。

*5:あーえーっと、ちなみに、こんなのやってました。「街マニヤの覚書」は読みにくいけど熱いコンテンツではあった。 http://bummler.bird.to

*6:余談ですが、TRPGマニアには、ミリタリーやアニメ、ライトノベル、文学、史学、民俗学に詳しい人が本当にたくさんいらっしゃいます。で、えーっと私、この辺のジャンルはとくに詳しくないです。でも郷土史とか都市計画とか建築とか、一部土木とかならちょっとはしゃべれます。治水関係は好物です。本読むのも好きですが、本を読むみたいに街を歩くのが好きです。あと郊外と文学との関係とかもちょっとくらいは。そういう僕みたいな人間のためのTRPGが一つくらいあってもいいんじゃないか、とは思ってました。需要とは関係なく。

*7:TRPGを作るためには年単位の作業量が必要で遊ぶ時間が減ってしまうため、さして手間も食わずに同じような遊びができるなら、その時点で製作を打ち切る必要がある。また、似たようなシステムの勘所を研究することで、ある種のジャンルにどのような実装が必要とされているかを分析することもできる。

*8:サタスペは、当時、ネットで旧版のルールが公開されていた

*9:あーえーっと誤解ないように書いておきますが、<クトゥルフの呼び声>は名作TRPGです。すばらしく美しいルールです。マジで。でも不満点はないわけでもなくて、それは使える、と思ったという話です。

*10:ここは主に資源の運用戦術をプレイヤーが選択していくことと、ゲーム上で描かれるストーリーのリンクについての話

*11:実は、このへんの考え方は、ほとんど<サタスペ>あたりからの援用である。同じルールを読んでもいろいろ読み方はあるもんだ(苦笑)

*12:あーえーっと、このあたりほとんどまんま「馬場講座」ですな。

*13:当時、このゲームを遊べるあてはオンラインしかなかったのです。

*14:ちなみに、コミュニティロール、現在の1.5版での<受動判定>では、行動機会は減りません。このため、行動機会を得るための判定と、行動そのものの判定、といった具合で、だいたいキャラクターは1ターンに2回判定を行うようになります。どうやって行動できるか考えて、なにをするかを決める、という感じですね。もっともシステム的には「何のためにそれを行うのか」が最も重要なのですが、それは次回。

*15:上方ロールというのは、要素を足せるだけ足していって、ゲームマスターが提示した難易度を超えれば成功、というもの。下方ロールというのは同様に、ゲームマスターが提示した何二度を下回れば成功、というもの。本来、日常を題材としたゲームは下方ロールが基本らしい、とあとで知った。

*16:ベルカーブとかの分析も大事なのはわかってるのだけど、ここで当てにしていたのは数十回、数百回のセッションにおける、どんな目が出たという印象が積み重なっているか、という体で覚えた感触でありました。気持ちよさの次元ではけっこう当てになると思うのよ。ま、所詮経験論だが。

*17:いちおう3D6は期待値から3ずれるたあたりから大きく確率が変動することによる。が、実はこれもいままでのゲームの感触をベースとしている。

*18:実はベットは取り返しのつかない資源を使うという面もあるので、それなのに成功確率が50%しかなければ、行動を練ったり、いろいろ考えるだろう、という設計でもあった。現在は、エレメントやコネクションといったこののちに加わった要素により、もう少しルール運用で無理が利くようになっている。

*19:実はトーキョーNOVAの「理性・感性・生命・環境」にすごく惹かれていたのだが、そこをパクるのはあんまりだろう、と思ってがまんした。

*20:ちなみに生活者として高等に思われるのは胆と技が高いタイプ。いずれか1つでも高いとよい。鋭と芸は生活に破綻を招きがちで、とくに胆と技が低く、鋭と芸が高いタイプは社会性に問題がある。とかなんとか。で、自分はというと、完璧に鋭・芸優位タイプでした…。ちなみに月夜埜綺譚のゲーム上でも、これはほぼ踏襲されており、泣ける。

*21:言い換えると、すぐれた創造的制約をシステム側が用意することにより、ルールの煩雑さを意識されることなく、また心理的な自由度を阻害することなく、デザイン意図の方向へと各人の意識と努力を収束させ、ある独特なゲーム風景を作り上げること、になるでしょうか。