サタスペのこと。あるいはゲームマスターは何をたのしむのか(TRPGと物語(xvi))

■僕もいろんなシステムを解析してきたが、ことシナリオ記法という象限で衝撃を受けたものはあまり多くない。*1ひとつには、明確なシナリオ記法がルール化されているものが少ないのがその原因と思う。シナリオをどう書けばいいのかを考えることすら、オフィシャルのシナリオ記法を解析するか、アマチュアが自分で理論化するしかないものが未だにあるわけだし。*2あともう一つには、ダンジョンエクスプローラ型についてはもうン年もやっていてとくに感銘を覚えることが少ないから、というのもある。ま、このへん目が曇っている部分はあるかも知れないので、少しくらいまゆにつばをつけて読んでくれると助かります。

■最近の衝撃を受けたシステムとは「サタスペ」である。世界観こそ癖があって人を選ぶが、“ルール自体がゲーム世界の雄弁なる表現者であること*3”、“簡潔にして必要十分な実装によりプレイヤーのゲームに対するイニシャルコストが低く、かついくらでも奥深くやれる拡張性の高いルール”、“ルールにきちんと実装され、音楽性すら感じなくもないリズム感”、“システム箱庭型シナリオ*4を完全に採用できる、ゲームマスターのプレイアビリティが極めて高いシナリオ記法”、と、まさにモダンと呼ぶのにふさわしいシステムである。*5

■そのなかでもとくにシナリオ記法は特筆に値する。なにしろ、やろうと思えば、“ボスに至るためのセキュリティランク*6”、“ボスの戦闘データ”、“ボスとPCの関係”さえ記述すれば、もうきちんと完成した遊べるシナリオとなるのだ。もちろん様々にドラマチックな仕組みをシナリオに内包することは可能なんだけれど、それらは概ね、上記の3項目にGMが必要とする分だけ追加すること、のみで盛り込むことができる。設定、進行管理系、ランダムイベント表、キャラクター表記その他のマッチングがきちんとシナリオ記法に昇華されているのだ。*7

■ここで面白いのは、デザイナー氏自身が、きっぱりと、自分だけのオリジナルシナリオを作ることはとても楽しいことだ、と書いていること。*8もちろんゲームマスターをやっている人々の多くは、ゲームマスターをやることに楽しみを見いだしているはずである。僕もそうだ。でも、何が楽しいんだろう? と考え始めてしまうと、様々な迷宮が待ちかまえていることとなる。そしてシステムを作ると言うことは、このただでさえややこしいゲームマスターの楽しみというやつを、ある意味でプロデュースしなければならないことを含むわけだ。*9

■ちなみに、言葉にしてしまうと簡単で当たり前のことなんだけど、「物語やるTRPG」のゲームマスターがたのしむポイントは、「その場に物語が立ち上がってくる瞬間に中心人物の一人として立ち会う」ことなのだろう。そしてそれはほとんど、立ち上がってくる物語の第一の読者になることに等しい。あくまで中心は“作者”ではない*10のだが、舞台設定やPC以外の登場人物のデザインなどはゲームマスターが行う。これを乱暴にまとめると、ゲームマスターの好みの舞台をセッティングし、そのステージ上でみんなで物語をもり立てていく、のがゲーム風景になるのかもしれない。

■僕のようなコアなファンじゃない人間がこういうことを書くのも何だが、様々な課題をプレイヤーにぶつけて「さぁどうする?」とにんまり待つことの楽しみを、徹底して追求したのがサタスペなのかなぁと考えている。PCを殺せ! とかいろいろ物騒なことが書かれているが、そこに発生する悲喜こもごもを、ゲームマスター自身が楽しんでよい構造をシステムが保証しているサタスペはやはりモダンである。ハプニングもバッドエンドさえも「まあこういうものさ」と笑い飛ばせ、と言い切れるのは、そういう様々なレベルでの受け身の楽しみをきちんと用意してある部分に裏打ちされているのだろう。

ゲームマスターは楽しい。けれどそれをきちんと表現するシステムを作ることは、様々に総合的なデザインを要求される難しい部分だ。けれど、別にゲームマスターに接待するようなシステムである必要はないものの、これはほとんど肝である。

■ところで、様々なマスター向けのガイドで、しばしば言及される“物語”という概念。僕の無知もあって今回ほとんど取り上げていないシーン制なども、物語性へ向き合う一つの方法論として作り上げられたはずだ。どうやらTRPGにおいて物語性を持ったセッションを行うことは面白い、というのはほぼ共通概念と言っていいと思う。それが用意するものであれ、振り返るものであれ。今回取り上げたサタスペとて、振り返ってみればどたばたのあるいはしんみりした物語が自動生成される仕組みに優れている。しかしじゃあTRPGで扱われる物語ってのは、いったいどんなものなんだろう。

■ここ数回、システムをめぐる抽象論や原理にこだわり過ぎた感もあるので、そろそろ次回あたりから物語とTRPGシステムの直接的な関係に触れていってみようと思う。そして、「物語やるTRPG」におけるプレイヤーはいったい何をして何を楽しむのか。実のところそのあたりのヒントを、あろうことかヲタクの祭典コミックマーケットの会場で様々に気づくことがあったのだけれど…。

■というあたりで、つづく。

*1:僕は一介のTRPG郷土研究家で、特に海外物は日本語版ルールのないものを遊んだこともないけれど、それは置いておく(笑 

*2:よく思うのだが、賛否両論名高い馬場氏のマスタリング講座の内容は、優れている優れていない云々に関わらず、ルールがシナリオ記法と直接向き合うことの少なかった暗黒時代の一つの証左ではないだろうか。アレを読んだ人ってまずこんなこと思いませんでした? 「えーっ? ゲームマスターってこんなに大変なのぉ?」って。でも言葉にするとあんなに長くなっちゃうようなことを、ちまたのゲームマスターは多くこなしていたりもしたのである。それもまたすごいことだった。自分のことは横に置いておいて。

*3:その雄弁さは世界設定なんぞ特に読まなくてもいいくらい練られている

*4:前回定義したとおり、シナリオの解法をPC記述とそこに表現される世界にゆだね、シナリオに“課題”と“課題とキャラクターの関係性”を記述すれば用の足りるようにして、プレイヤーの物語的創造性を引き出そうとする、という物語指向型のシナリオ形式。

*5:まあデータが本当にたくさんあるので、経験に差のあるプレイヤー同士がいっしょにやるとそれなりに配慮が必要になっちゃうのだろうけど。念のため付け加えておくと、モダンさに感動はしたものはそうなんだが、別に瑕疵のない完璧なシステムだぜーと思っているわけではない。

*6:セキュリティランク:情報が得られる所在を表す指標。趣味と能力、情報ルールを用いてそのセキュリティランクにたどり着くことができれば、情報が得られる。たいていはボスの所在やボスとのコンタクト手段を探すこととなり、当然弱点とかもそのあたりに含ませたりすることもできる。

*7:もちろんこれはサタスペB級映画の体現をめざし、原則としてラストバトルで殺し合うというコンセプトだから可能になったことだが、似たような目的のために、覚えなければならないルールが数倍に達し、シナリオを組む手間が何十倍、何百倍にもなっているものはいくらでもある。

*8:ちなみにネット上での氏の発言においても、そういう明言は随所に見られる。ゲームマスターを誰かにして欲しいと願う人が、こういう言葉をはっきりというのは当たり前のように見えて実は結構難しい。商業ルールでこれを言うことの難しさもまたひとしおであろう。いらん心配か(笑)。でもこういうことを言い切ってるシステムは、確かに少ないですよ。

*9:最近のプロのものにはないと思うが、こういうゲームマスターを楽しませる思考のないシステムは、ゲームマスタースケープゴートにしてゲームを成立させている、と言われても仕方がない。そういうTRPGこそクソゲーの名にふさわしい。自戒したいところである。

*10:まあ作者ってのはたいてい第一の読者なんだが、というふうに僕は思うんだが、ちまたの小説作法を読んでみると案外そうでもない世界もあるらしいので、いちおう。