くるり「赤い電車」はスゲェ!

(えーっと、完売記念セッションも近くてシナリオをまとめているところなんですが、それにもかかわらずこれは書かなくてはならなかったのです。えーっと、TRPGでここを見に来た人がいたらあえて置いていきます。ある意味萌えヲタ的ですが気にしないでください。あと、くるりのファンの人はほとんどご存じのことだと思うので、あえてみることもないです。えーっとえーっと、個人的な告白かも知れません。えーっと、気にしないで(w あと発売日に騒げよというあなた。正しいです。でも人生いろいろあるのです。)

くるりの新曲「赤い電車」がすごい。くるりのあのどこか切ない若者的音楽*1、そして音楽ファンをうならせる高い音楽性、だるいだけでは決して終わらない倦怠、最先端なんだかよくわからない無国籍な音楽ジャンル、なぜか心の奥底を貫かれる歌詞世界、そして岸田繁がみせるみょーなヲタクっぽさ、さらにさらに、かつてのくるりには期待すべくも無かったCMソングとしての完成度。このすべてがあいまった、キミョーキテレツな傑作なのだぁ! だぁ!

■「赤い電車」は今年度の京浜急行電鉄のCMソングである。ところで、京浜急行といえば、ドイツが誇るシーメンス社のインバータ制御器*2を搭載した“私鉄最速”2100系車両で知られることは言うまでもない。あの私鉄とは思えないほど豪快に駅をぶっ飛ばしていく快速特急の快適ぶりにしびれた人も多いはずだ。そしてこの京急2100系車両を大々的にフィーチャーしたのが、この「赤い電車」なのだぁ! だぁ!

■インバータ制御器、可変電圧可変周波数制御*3を行う制御器で、VVVFインバーターという暗号みたいな名前を私鉄沿線の人は見たことがあるかも知れない。今流行の様式だが、このタイプの制御器、電車ごとに走り出すときに特徴的な“音”をたてることで知られている。そしてドイツはシーメンス社のものはとりわけ特徴的で、鉄な人には通称“ドレミファインバーター”と呼ばれている。なにしろ発車時、どこからともなく*4聞こえてくる、“ドレミファソラ…”という音階。そして列車は走り出すのだ。

■…ところで、かつてインターネットのどこかにあった科学系のサイトで「どっちかというとファソラシドレ…」と言われていた。書いた人自身、苦笑しながらの指摘ではあった。確かにそれは、誰かが歌にするまでは、たいした問題ではなかった。


赤い電車は歌い出す
ファソラシドレミファソー
くるり赤い電車」)

赤い電車は、歌い、だしちゃうんだ! ファソラシドレミファソー!!!! そして、サンプリングされた京急2100系車両のインバータの音が高らかに響き渡るんだ!!!

■負けました。ラジオで聴いて、どうせ買うつもりだったけど、大急ぎで買いに行きましたよ。つーか、すげぇ。わしの鉄分も、切ない音楽聴きたい分も、キャッチーなもの大好き分も、すべて一曲で満足させてくれるよ。買え! とは言えない(w あまりにも、あまりだから(w でも! でも!


見たことのない景色見せてよ
赤い電車
くるり赤い電車」)

■そう。私たちは、電車を乗るときにそんな景色を探しているのだ。車窓に流れる景色を、駅の発車ベルを、電車が奏でる歌を聴きながら。

京急線乗りたくなりました。そんな歌です。

赤い電車

赤い電車

*1:そういえば『TEAMROCK』のキャッチコピーは“若者的最高峰”でしたね。

*2:モーターの出力を状況に応じて可変させる装置を制御器という。抵抗制御、チョッパー制御、可変電圧制御、可変電圧可変周波数制御などの種類がある。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E5%A4%89%E9%9B%BB%E5%9C%A7%E5%8F%AF%E5%A4%89%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0%E5%88%B6%E5%BE%A1

*4:正確には2両目の下あたりからよく聞こえる。

ちょっと模様がえ

はてなの「mirage」っていうスタイルをベースにちょっとだけいじって模様替えしてみました。

■写真は富山市は中島閘門*1。といっても船を通すほうじゃない水位調整用の7連スライドゲートの並びです。なかなかに立派な施設ですが、あまり使われなかったそうです。

■あまりパーツ萌えなほうじゃないので、僕自身は水門マニアというふうではありませんが、“街の中にある水門”は好きです。様々な街でデッドスペースとして消されていく水路と水門を、近代遺産として、そしてなによりそこに生きた人々の清濁含めた夢の形として、可能な限りその姿を残してほしいものだなあ、と思っていたりします。

■外にいるモノの勝手な言い分かもしれませんが、それらは決していやらしいノスタルジーに安住するような存在ではなく、むしろ“今”をめぐる鋭い問いかけを秘めています。様々な人が描いた“明るい未来”を“夢”を、結果だけを見た後出しジャンケンで簡単に否定する人たちがたくさんいます。たしかに、今見ればいろいろ誤謬だろうし、いろいろ汚いお金だって動いたのかも知れませんけどね。

■街の事物は、とくに水を巡るそれらは、今私たちが見ている様々な将来像、夢、をめぐる“今そこ”の問題を、ひっそりと忘れ去られたよう形で伝えてくれます。

■もちろん単純にも綺麗だったり素敵だったりして、つい惹かれてしまうモノでもあります。

■ま、そんなことに関係あるような気がしつつ、全くないような気もしつつ、とりあえず水門の写真を貼ってみたのでした。また気分が変われば変えます。

*1:こうもん、と読む。パナマ運河のように、水位が違う場所を船が行き来するために作られた特殊な水門のこと。

気づく、ことの話

http://blog.livedoor.jp/lissehwestlambe/archives/50118859.html

■リンク先の記事を読みながら、そうだ! そうだぁ! と思いつつ、でもこれはそんなに一般的なとらえ方じゃないのかしら、と恐れつつ、いろいろ考えていました。僕が勝手に“TRPGをめぐる精神論の師匠”とあがめている人も、RPGが“気づき”を交わすゲームであり、そのことこそがRPGがしあわせを生産していく重要な仕組みである、というようなことを仰っていました。そして僕はかつてその言葉を聞いて、やめかけていたTRPGの魅力の奥深さに“気づいた”のでした。

■しあわせなセッションの舞台では、さまざまな気づきがめぐりめぐります。課題に対する解放を巡る気づき、人物観察の気づき、それぞれのPLやGM自身の美徳や人間らしさに対する気づき、様々な正義、悪の魅力、そしてしばしば訪れるGM以上にシナリオの本質をつくPLにセッションを構成してもらえるというGM最大の喜び。もちろん幸せなことに気づけるばかりじゃないかも知れないけど、気づきを交わすとき、TRPGセッションの舞台はなにやら初めて創造的な感じを受けます。シナリオのオリジナリティごときは、その気づきを交わす興奮に比べれば、なんのことはありませんでした。

■僕が「物語やるTRPG」に執着しているのは、一つにはこの世界にまだ満足のいくモノが見つけていないからですが、それはそれとして、気づきを交わすためのその材料として“物語”がすっごくよい題材になるんじゃないか、と思っているからでもあります。人それぞれの物語、共有されることを願って描かれた嘘話、それを語り出す人々。いろんな人の物の見方に気づいていきたいし、自分という最も身近な他人のいろいろなことに気づいていきたい。って言葉にしちゃうと、くさすぎるんだけどさ。

■まあもちろんシステムができることなんて、とくにアマチュアのシステム作りができることなんてたかが知れてるんだろうけど、それはそれとして、いろんなものを気づいていけるゲームを作れたらなあ、と願っていたりします。

ゴルフの話

■ゴルフ行ってきました。目指せ! ダブルスコア!(何かが倒れる音)*1

■…ふと、TRPGのプレイヤーでゴルフやっている人ってどのくらいいるんだろう(w とふと思った。建築業のたしなみなのでときおり誘われます。でもすんごい下手です。でも嫌いじゃないんです。もそっと金と時間があったらもっと練習するんだけどなあ(言い訳

TRPGや小説を作っているときにいつも恐れていることがあります。それは“車輪の再発明の楽しさ”です。TRPGのルールなんて作ってると、もういっぱいあるんです。何しろ狭くてまだまだ発達の余地のある世界だから、自分が何かを生み出すような気分になれる車輪の再発明なんていっぱいあるんです。これがじ・つ・に・楽しい。でも、それではどこにも行けないのですね。行けたとしても、すっごい回り道になって、間に合わなくなる。なににって? 死に、ですよ。…まあそんなわけで車輪の再発明をきゅうきゅうと恐れつつ、いろいろ読んでるわけなんだけど。

■今、ゴルフの超初心者の自分がいて、まあ近所にすっげーうまい人がいるので教わっているわけですが、身体が勝手に車輪の再発明をやって楽しさに酔いしれる、というヤヴァイ感じの気分によくなります。車輪の再発明って、肉体レベルでもこんなに快感なのね(w なんて思ったりもします。でもんなことやってると、全然タマが前に飛ばないのね(w 下手だから。だから気分がいまいちでもともかく言われたとおりにする。そしてたまに教わったとおりに身体が動いたときに、タマが綺麗な弾道で飛んでいくのを見ながら、必死扱いて、拾う。そしてその、向こうに、車輪の再発明じゃ味わえない快を探る。

■ゴルフは歴史のあるスポーツだから、やっぱりうまい人の中にはそういう歴史がたぶん刻まれているのです。それを遠回しに拾っていくことで、ちったぁうまくなれる部分もあります。たぶん。さてふりかえってみてTRPGの“向こう”にある歴史はどんなもんだろう、とか思ったりしながら、とくに結論はないのでした。

*1:言うまでもないことですが、ダブルスコアというのは規定の倍のスコアで終了することです。PARが4なら8。5なら10。3なら6。合計は144。

空席のお知らせ

■件の記念セッションですが、お一人様がご欠席されることとなり、一席あいている状況です。参加されたいかたがもしおられましたら、お伝えください。お待ちしております。

http://rose.zero.ad.jp/~zah63840/tsukuyono/questionnaire.htm

シナリオには何が書いてあるのか(TRPGと物語(xiv))

ゲームマスターの権限というのは、深く考えれば考えるほど、なんだかよくわからない。ゲームマスターの入門書をそうたくさん読んだわけでもないのだけど、どこかで読んだのには「ゲームマスターはプレイヤーを楽しませなければならない」とか書いてあって、本当かよー(w とか思ったものだった。この考え方で言うと、ゲームマスターはさしずめ皆を楽しませるためのボランティアエンターテナー、気の利いたゲームマシン、ないしは奴隷といったところだろうか*1。…逆に、かつて進行管理やプレイヤーとマスターを調停するルールに乏しい時代に、プレイヤーが想定外の行動をとろうとするたびに(パラノイアでもねーのに)zapzapzapするマスターは本当にいた(w ま、普通はゲームマスターはコンピュータ様じゃないし、神様でもない。当然、奴隷であっていいはずがない。またプレイヤーとは一種違うが、楽しみをきちんと見出せる参加者であってほしい。*2

■とまれ、プレイヤーキャラクターの生殺与奪をめぐる主だった権利がマスターの手のひらにあることは間違いない。物語を提示できるかどうかは微妙なもんだが、マスターはプレイヤーキャラクターの置かれた状況を自由に設定することが許されている、ことになっている。而してここに、TRPGを様々に妨害する甘き恐怖“自由”は再び現れることになる。

■さて以前から述べているとおり、世界やルールによって“自由”を“創造的制約”に置きなおしていく試みは、結構前の世代のTRPGから行われてきたことである。しかしシナリオ記法においては、ダンジョンエクスプローラ型のものを除けば、ずっと立ち遅れてきた。正直このため“先人の偉業”を例に出して書いていくことが難しいうえ、日本のTRPGに限っても、シナリオ記法の普遍的なルーリングというものはとくに見当たらない。っちゅーわけで、ひとまずタイプ別に分類して、少し分析してみることにする。

ダンジョンエクスプローラ

■ひとまずダンジョンがあり、潜って、なんがしかのものを集めて、出てくると一段落するもの。実際のダンジョンが出てこなくても、「部屋と部屋同士をつなぐ通路そして次の部屋」といったインターフェイスで、かなりおおざっぱに可能性を制限しつつ、通路による“あらかじめ用意された分岐という形の選択の余地”と、部屋による“あらかじめ用意された状況と、その内部に限定された自由に行動する権限”をプレイヤーに与える、という類のスタイルを仮にこう呼ぶ。

■ダンジョンエクスプローラ型のシナリオには、プロローグの形でダンジョンに入る理由、その通路と部屋の配置、次の部屋へ入ろうとしたときの条件・状況、部屋の内情、最終的に部屋をゴールまで進むことが何を意味するのか、等が主に必要とされる*3

■ダンジョンエクスプローラ型をストーリー指向のセッションにおいて用いる場合も、抽象化すればほとんど同じ図式で描くことができる。*4このとき、単純なダンジョン、ないしは自然環境が舞台の場合は、ほとんど物理的な障害が構造を保証してくれるのだが、ストーリーというあやふやなものを前に出す場合は、舞台設定と各キャラクターの動機付けでそれをコントロールする必要がある。最近の多くのストーリー指向のシステムは、無限に拡散していく分岐を動機付け*5他で収束させる仕組みを内在しているものが多い。

■このタイプのうちに、思いつく限りのマルチエンディングに広がっていく拡散型のシナリオ、一つの結論をベースに様々なシーンが収束していく収斂型のシナリオ、チェックポイントに区切られた自由行動可能なダンジョンを持ち自由度に広がりを見せつつも基本的には一本道をたどるウェブ型のシナリオなどが含まれる。

■見てわかるとおり、もっとも古く、もっとも一般的で、もっとも様々な手によって洗練されてきたスタイルである。*6プレイヤーの負荷が低いものが作りやすく、またオフィシャル側からの“シナリオ”を配布する際に適しており、商業的な要求に耐えうることを実証できているスタイルである。なにしろ、シナリオさえちゃんとできていれば、ルールの理解だけで遊べるものを提供できる。ただその代償として、いざゲームマスターが自作シナリオを作ろうとする際に、たいへんめんどくさい、という欠点を持っている。*7

箱庭型シナリオ

■様々なイベントや、物語的葛藤、人物を配したある一定の自由行動空間を用意し、その中のエピソードを発見していくプロセスで、なんがしかの状況と出会い解決させたり味わったりするというスタイル。これもウェブ構造を持ったダンジョンエクスプローラ型に属すかも知れないが、ある意味で極端な様式ということで別記した。

■この様式で必要とされるのは、まず舞台となる“十分広い空間”の様々な設定。全てを詳細に記す必要はないが、その空気感を作っておかないと、プレイヤーの思わぬ行動に対処できない。それから出てくるNPC・およびNPC集団の行動原理、相関の把握。イベントとその発生条件。最終的にどういう結末に流れていくのかという予想と、その準備、誘導材料、それから予定外の行動でもいいだけの事件を巡る濃い設定内容。そしてそれだけの材料を処理することのできるマスタリングスキル。

■利点は、プレイヤーが自由と体験性を強く感じることができることと、もとよりそれだけの設定量があるので、マスターの限界まで無限の分岐を作り出すことができること。さしあたって強いストーリー的起伏のないシナリオでも、このスタイルならプレイヤーが勝手に物語を見つけてくれる場合もある。

■欠点はシナリオを作った当人でしかおそらくマスタリングできないこと。その当人ですら、限定条件をうまく設計しないと容易にセッションが崩壊する。時間管理もムツカシイ。そしておそらく総合的な面倒くささは、ダンジョンエクスプローラ型の遙かに上だ。*8

システム箱庭型シナリオ(仮称)*9

■システム側が、事件を解決することを助力する様々な材料を配した空間(=街等の設定、のち「街」とする)*10を用意し、ゲームマスターがその空間内に用意した“課題”を、「街」をツールに使いながら解決していく、というスタイル。広義には箱庭型といえるのかもしれないが、そのシナリオ様式は全く異なる。ちなみにシステムが用意しなければならない部分が多く、キャラクターにある程度「街」を包含する部分があるため、僕の知っている狭い範囲だと、このシナリオ様式を簡潔に実装できるのは、「サタスペ」「上海退魔行」「月夜埜綺譚」、あとやり方次第だが「トーキョーNOVA」あたりだろうか。*11

■利点としては、その世界の現実感に即したプレイングが自動発生しやすいことと、キャラクターの社会的な立ち位置を資源として用いることができることだろうか。また自由度の意味では、“課題を解決しなければならないこと”を除けば、かなり大きく設定できる。ゲームマスターの技量に応じて、“箱庭型”度をある程度自由に設定できることも、ストーリーやテーマも考えたいマスターにとっては面白いだろう。*12シティアドベンチャーを比較的経験の浅いゲームマスターがやる場合は、是非おすすめしたい様式でもある。

■欠点としては、もとよりわかりやすい意味での限界領域を狭くとろうとするやり方であり、扱えるテーマを大きく・広くするように設計することが難しいこと。それから、ゲーム云々の前に「街」の好みや相性によってプレイする人間を選ぶこと。また「街」に対する知識や認識が問われるため、システム側からのサポートをきちんと設計していないと、プレイヤーとマスターで知識の齟齬によるトラブルになりやすい*13

ランダム型シナリオ

■シナリオ記法としては、シナリオを書かない、という点で最も極端な様式といえる。もっともシナリオを書かない、そしてその部分をシステムに丸投げする、というだけで統一したスタイルは特にない。利点は準備にほとんど時間を割かれないこと。欠点は、物語的な問題を扱うのが難しいことと、これはこれで運用のテクニックを求められることだろうか。

■ランダム型シナリオのたちの悪いところは、様々なランダム作成チャートを持っているに見せかけて、実はランダム型シナリオをサポートしていないシステムが散見されることである。役に立たないフレーバーワードばかり積み上げられても困るよなあ、というルールは結構ある。

■基本的にはゲーム指向にかなりよった楽しみ方のTRPGとなるため、なんらかの数字で表現できる課題を、様々なゲーム的ギミックを持ったキャラクターによって解き明かしていく、というスタイルがこの様式に向いているだろう。得てして戦闘になりがちなゲームがこういうスタイル*14をとりやすい、というのもその傍証といえるだろうか。

■もっとも、ランダムのフレーバーワードから深い広がりを持った世界を想起できるプレイメンバーもいたりするので、システム側からどうサポートすればいいかについては、一概には言えない。ただプレイヤーに何を求めるかというのを、きわめて強く意識化しなければならないスタイルであることは間違いないだろう。

吟遊詩人型シナリオ

■シナリオがゲームデザインである、なら、これはシナリオではない。基本的には一貫したストーリーがあり、その一部に、プレイヤーがゲームルールを使ってより強固な感情移入を促そうという試みを含んだ、わずかばかりに参加型の部分を持つ独り語りである。

■おそらくこのタイプの天才的なゲームマスターはいると思われる。*15

■だがほとんどの人にとって、苦労ばかり多く、報われないスタイルである。またコンシューマゲームの世界にこのジャンルの傑作はいくらでもあるため、わざわざ人間でするのもなあ、とおもわんでもない部分もある。

■この種のシナリオの前ではどんなシステムも似たようなものなので、システム側から特にサポートする必要はない。

その他の様式

■フルアドリブ。モンスターデータと、キャラクターシートをちらちら見ながらセッションを起こす方式。ランダム型と違って、とくに積極的にシステムに助けられていないのをこう呼べるだろうか。システム箱庭型ができるシステムや、すでに完成された箱庭を持っているゲームマスターは、やろうと思えばできなくもない。しかしそうじゃなければ、ふつーはくだらないセッションにしかならない。フルアドリブ対応を考えるくらいなら、ランダム型でROCする面白さを見いだせるシステムを作る方が面白そうだ。*16

■ほとんどPBMでしか見られないが、世界を用意しておき、そこで起きる様々な事件に参加させる、といった様式は考えられるだろう。「広域箱庭型」とでも呼べるだろうか。即時応答性のTRPGには向かないが、これはこれで非常に深みのある、しかもゲーム的に面白い部分をいかようにでも作れる様式である。手間が最大級なことも間違いないけど(w

■あと、僕はシステムをうだうだ語っているくせに「深淵」のプレイ経験もないしルール分析もしてないので、あの夢歩きがどのようにシナリオ記法を決めるのかはよくわからない。

■いろいろ見てきたけれど、案外バリエーションに乏しい気もするし、なんだかんだいって僕の知らない様式がいくらでも隠れている気もする。

■さて、次回は、サタスペと月夜埜綺譚をベースに、物語やるTRPGのシナリオ記法のヒントを探ってみる予定。それからシナリオ記法に隠された、でも意識を持っている人は持っている、最大の問題。“ゲームマスターは何をたのしむのか”について触れていけたらなー、と野望を思いつつ、つづく。

*1:しかし僕は一方で「ゲームマスターは楽しまなければならない」くらいのことはいつも思っている。基本的には自戒だが、ごくたまに他人様に言いたくなる夜もある。メンバーにもよるので一概には言えないけど、ゲームマスターをやることに対して被害者意識を持つTRPGプレイヤーにはなりたくないし、なってほしくない。そしてシステムがそのために出来ることがあるなら、がんがんやっていきたい。

*2:そんなことを鑑みて、月夜埜では、「ゲームマスターは一風変わった役割を持ったゲームプレイヤーの1人です」みたいな文面を、あらかじめ明記した。当たり前のことなんだが、なかなかわからない人もいるもんなのと、正直に言えば、そのことについてルールで徹底できなかった言い訳もかねて。…ところでこういった“あたりまえ”そのものに異議を唱えたかのように見えるパラノイアのアプローチは、なんていうか一周してようやくニヤリと笑えるものであるような気がする。ま、そんなことしなくたって、十分可笑しいのだが。

*3:最も単純にクラシックDnDを遊ぶなら、ダンジョンに入る理由とゴールまで進む意味は、金稼ぎと立身出世と生存、といえるだろう。もっといろんな遊び方もできるけど、システムに書いてあるのはこのくらいだ(w 

*4:そしてダンジョンとシティとドラマがかねあうシナリオだと、このダンジョンエクスプローラ型構造が次々と入れ子になって絡むこととなる。

*5:ハンドアウトとかロイスとか縁故とかだね。

*6:運用はまた別だが、シナリオ記法という象限で考える限り、シーン制のシナリオもまたダンジョンエクスプローラ型と言えるだろう。

*7:しかし供給を絶たない限りは、この欠点さえオフィシャルから見れば利点になりうる。

*8:そして僕はこの様式には結構はまったけどね(w

*9:個人的には「街系」型、ないしは「ギャルゲーメソッド」型と読んでいる、けど、そんなことはどうでもいいですね(w 

*10:「街」とかっこつきで表現しているのは、しばしばこれは街そのものを表さず、キャラクターに包含された世界そのものであることが多いから。逆に、個人の能力をはじめとして、心の流れや、人の関連性など、“世界”がよく表現されたルールならこの様式を用いることは可能である。積極的にサポートして無くても、潜在的にこの様式を用いることのできるゲームは結構多そうだ。

*11:もちろん、僕の知らないシステムが実装してたりもするんだろう。「シャドウラン」とかはいけそうな気もする。またサプリメントや同人エクスパンションとかで拡張しやすいのもこの様式の特徴である。ファンタジー系でそういうのがなかなか見られないのは、やはりみなファンタジーには生活よりも冒険を見つけたがるからだろうか。

*12:やろうと思えば複雑な条件分岐や複雑なNPCの行動原理の変遷を扱うシナリオだってできる。システムでサポートされているぶん、やることも、やらないことも選択できるというのは割と大きい。

*13:まあ、これはある程度規模が大きくなれば、どんなシステムだってそういうことは起きるんだけどね。

*14:たとえばワンダリングモンスターが出現するある確率を持った空間をプレイヤーのやりたいように歩かせるのも一種のランダム型と言えるかも知れない。

*15:かつての友人にこういうのができる人がいた気もする。僕は、違ったな(w 

*16:Fローズに似たような仕組みを作れそうなモジュールがあった気がするのだが、残念ながらFローズもランダム型シナリオ形成をきちんとサポートするようなルール体系は持ってなかったなあ。まあそのへんは、ゲーム内ミニゲームでいくらでもカバーが効くのだけど、と、老害は思うのだが(w、しかしシステム製作の立場から言えば、否でもあろう。もっともランダム型シナリオは今の僕の興味の方向性ではないのだけど…。