TRPGの葛藤とは、そして物語やるTRPGの葛藤とは(TRPGと物語(vii))

■アンサーも兼ね、ある程度個人的な考えにもなってしまうのだが、プレイヤーキャラクターに課せられる葛藤は、動きが阻害されない範囲で、あればあるほどいいんじゃないかと思っている。もっとも葛藤をどういうふうに運用するかは、葛藤の質に依ってある程度色分けしなければならないだろう。物語やるTRPGの基準を中心に、以下に適当にまとめてみる。

解決すべき問題
いわゆるセッションの目的。目的、という言葉が変なら、セッションを終了させるための条件、といえば間違いない。当然ながらこれは何らかのカタチで解決可能なモノでなければならない。もちろん失敗的セッションでこの目的が果たせない、ということもあろうけれど、完全に果たしきれないのはTRPGの性質上問題があったりするので、解決すべきと見せかけて実は自動的に解決する問題、になっちゃうのかも知れない。…物語やるTRPGでちょっと面白げなのは、この問題が解決した上で、以下の様々な葛藤が果たされない局面で、エンディングの達成段階制*1が、プレイヤーの気持ちの中に自動生成しうるということである。

※(追加)書くの忘れてたのだけど、上記の内容は、ルールによって解決できる内容である必要がある。たとえばラスボス戦とか、ポイント制とか、なんらかのアイテムを全部集めるとか、まあいろいろあるけど。

※(さらに追加)要するにこれはセッションを進めるための原動力というか、通奏低音というか、ベースっちゅーか、というものなんだろうな。

答えのでない問題
政治や死生観に始まり、哲学、プレイヤーの人生観にまで関わってくる、様々な、もとより決められた答えなどあろうはずもない、けれどときおり人やってると突きつけられる難問たち。はまるとマスターも楽しいし深いし一番盛り上がるが、はまらないとひたすら無駄にセッションが延びるおなじみのこれ。物語やるTRPGとしては、背景に常に存在しつつも、この葛藤と向き合うことがセッションの解決への必要条件とならないようにする、あたりが安全ラインではあると思う。もちろんはまれるメンツなら、以下略。

※(追加)こちらはルールとは一切絡まないことが、逆に条件となる。ルールによって答えの出ない問題を“解決”してしまうことは、あとにさまざまな遺恨を残す。(“解決”を先送りして一定の“結果”を出す、というのは別にかまわないけど。)システムをデザインする際、場合によっては“触れてはいけない領域”を意識することも必要と思う。

■えー、上の両極端二つをまず書いた上で…。重要なサブセット。

キャラクターをめぐる葛藤
ある行動をとるときに、キャラクターの性能や設定によって行動の内容が制限される場合に生じる葛藤。…しめしめ、このキャラクターでどうやったら〜させられるかな? 〜はできないから、PCの〜の協力を得れば〜なふうにできるかな? とかポジティブに考えられる人にとっては実はTRPGやる重要なお楽しみ。僕も好き。しかしこれを盾に、〜というキャラクターだから、あれもできない、これもできない、となる人も出てきてしまう諸刃の剣。後者の人をいかに前者の側へ引き込むかは、プレイ環境の問題であると同時に、ある程度はシステムの責務であると思う。…面白いんだけどなぁ。
世界とキャラクターそれぞれの関係性にまつわる葛藤
ちょっと説明がムツカシイのだが、たとえば謎解きを普通に解いてしまうと、〜と〜が仲違いする、とかね。人間関係、立場、そして場所や事物との愛憎…。実のところ、これをセッションの終了と直接密接に絡めてしまうと、ストーリーの決めうち、になっちゃうか、答えのでない問題、に発展してにっちもさっちもいかなくなる。だから、取り逃がしてもミッションはクリアできるが後味の悪さが残る、あたりが最高。人間関係のルールがあるシステムでこれをやらないのはもったいないし、ある程度は“世界設定”でカバーできる範囲かなと思う。
プレイヤー自身が構築する物語に関わる葛藤
マスターが、ではないのに注意。マスターはその状況設定とキャラクターをきちんと描くことで(いわゆる物語じゃなくても)存分に“物語”できるのでおいておく。ここでは、ルールとして明文化されていないキャラクターの設定から始めとして、それぞれのプレイヤーがこのセッションでどのようなストーリーを実現したいか、という思考そのものが行動の創造的制約になりうる、という内容をさしている。キャンペーンプレイは、実にこの葛藤を効果的に生み出すために存在しているプレイ様式かも知れない。ここでのマスターの重大な責務は、(プレイヤーの手前勝手な暴走を許容する必要はないが)くだらない邪魔をしないこと。
リアルな人間関係にまつわる葛藤
ようするにプレイヤー間の人間関係、ね。先輩とか後輩とか好きとか嫌いとか。確かにそういう葛藤が生じることもあるだろうがそれはそれで好きにしてくれよ、といいたいところだが、システムとマスターはなすすべがないわけではない。それはプレイヤーキャラクターが暮らす世界とおかれている状況を明確にそして“可能な限り公平に”表すこと、である。公平に表しやすいシステムと、公平を表しにくいシステム、というのは確かに存在する。人間関係をフォローするなら、システムもある程度後者の努力を必要とされるだろう。でもそれ以上はやっぱり好きにしてほしい。
その他のセッションの解決に必ずしも寄与しない葛藤
他にもいろいろあるけど、たとえばクリアすると達成段階の上がる(いろんな背景情報が明らかになるとか、よりプレイヤー好みの展開になるとか、たまたまでもね)ミッションを混ぜておくとかするとオモシロイ。…ただシステムにもよるのだけど、たのしんでるんだから、このポイントに関しては極力プラスとプラスの葛藤を生み出すモノであってほしい、とは思う。とくにマイナスとマイナスの葛藤は、現実にはいっぱいあるが、基本的にプレイヤーを萎えさせるばかりである。このあたりは主にシナリオデザインの問題であるが、システムのブレイクスルー機能*2に依ってある程度補完できるので、その機能があるシステムならある程度ご無体な葛藤条件を設けてもよい。

■プレイヤーキャラクターに暇を与えるのはよくない、というのはシステムデザインする際に僕がいつも考えていることである。これはテンポのいいセッションと、お地蔵さんの防止を主に意味する。…セッションハンドリングの腕前を磨かなければならないのはもちろんなのだけど、そのためにシステムが何をできるか。僕の場合はそれに対し、どれだけプレイヤーに楽しい葛藤をしていてもらえるか、で答えようとして考えてみた。そのほうがプレイヤーマスター双方ともに楽しいだろう、と判断したから。これは結局、すばらしいストーリーとやらをマスターからふんふんと聞いていたい、という一部の方には受けが悪かった。

■物語やるTRPGは、いっぽうで、プレイヤーが物語を発見していくTRPGなのだと規定している。確かに話のうまいマスターの作り出すストーリーをふんふんと聞いているのも楽しいかも知れない。でも、ちょっとそれじゃマスターが大変すぎる。物語やるならみんなでやりたい。このあたりは普遍的とか商業的成功の外にある、僕自身の考えである。

■さて葛藤の内訳がある程度示せたところで、明文化され得ぬ第二のルールである、世界の問題が置き去りになっていた。物語やるTRPGに向いた世界とはどんなんだろう、というあたりで、つづく。

*1:マルチエンディングではなく、ベストエンドからベターエンドまで様々な達成段階を持ちうるシナリオ構造。100点と0点だけじゃなくむしろ60~90点付近に一番重い分布がある。ほっといてもハッピーエンドに至るぬるいゲームをしたくない場合にマスターが持ち込むモノだが、案外実装がムツカシイ。ここでは、物語やるTRPG型の解決の一案を示している、つもり。

*2:NOVAの神業とか、月夜埜綺譚のレイズ、扶桑武侠伝の活劇段階もある程度近いかも、ヒーローポイントも個々にはいるのだがブレイクスルーを意識して使われる場合はどのくらいあるのだろう、のような、シナリオやその世界の物理法則を物語の都合によってプレイヤーが一時的に超越することを許すルール。プレイヤー側がストーリーを積極的に提案するルール、あるいは、行動宣言を手段主導ではなく目的主導で行うためのルールといえる。プレイヤーがめちゃめちゃする、シナリオブレイクされる、といって敬遠する向きが多いし、そういうプレイヤーがいることを否定しないが、原則としてはこれはマスターが生み出そうとする物語的空間を助けるルール群である。この稿で述べたようにシナリオが葛藤が多重に積層していく構造をとるならなおさらである。