ふしぎな気がする

■ときおり自分の文章を読み直してみると、えらそーだなあ、というのがよく見つかる。お金もらってる仕事のほーはろくにできねーくせに(苦笑 っていう自分が確かに存在している。日常生活の鬱憤をぶつけている部分はなくはないのだろうけど、どちらかというとひたすら必死な自分の文章を見ていて、なんだかふしぎな気がする。

■仕事の愚痴とかを書いているブログで、部下や上司の無能をなじるのを見て、まあ素直にばかり受け取るわけじゃないのだが、ほーこのひとはそんなに仕事ができる人なのかー、とか思って、やっぱりふしぎな気がする。世間には、僕なんかと違って、仕事もできてブログも趣味も創作もそこそこできる人がそれなりにいるんだろう。もちろんそう演じることが楽しい人もいるんだろうけどさ。

佐野洋子が「嘘ばっか」というグリム童話の翻案本*1を書いていて、これまたすごい本なのだが、その中に出てくる“白雪姫”がいたく好きだ。ネタバレだがちょっとあらすじを書いてみよう。

>…美しい美しい王女と、そこから生まれた醜い姫。母は自らより美しい者を知らず、全ての人々は母の美しさに酔いしれる。そこから生まれた凡庸な姫君は、しかし様々な事物の中から「美しいもの」を見つけ出す一個の天才であった。…老いさらばえていき、美しいことの他に取り柄のない自らを誰も省みなくなることを予見した母は、自らの他にあらゆる美しさを知る娘の生に嫉妬し、毒殺を思う。

■姫のようには生きられないし、姫のようなものがあれば、やはり嫉妬して殺意を抱くかも知れない。けれど自分のエゴよりもすごいものがいっぱいいっぱいある世界で生きていくなら、姫のように生きるのはなんだか素敵そうだ。もっともそこには、自分を殺すでなく、世界を見る透き通った目が必要とされるのだろう。ふと振り返れば、作者自身が透明に透明にあろうとする作品に、いろいろと心惹かれている自分もある。

■けれど自己嫌悪は自らを透明とするプロセスの中でもっとも巨大な障壁となりうる。それも考えてみればふしぎな気がするけれど、やっぱりなかなかに、ムツカシイ。それはそれてして、厳しい社会で活躍してる人ってやっぱりすごいなあと思う。もちろん“社会でしか通じない言葉”しかしゃべれない大人になっちゃいけないって思うけど、それはそれとして、ね。

嘘ばっか 新釈・世界おとぎ話 (講談社文庫)

嘘ばっか 新釈・世界おとぎ話 (講談社文庫)

*1:真性の大人のための童話本、かな?