物語やるTRPGのマスタリング支援とは(TRPGと物語(xii))

■以前にも述べたとおり「物語やるTRPG」は、プレイヤーが物語を自覚的に発見していく、ないしは描かれ体験したものを勝手に物語と誤解する、という構造を持ったTRPGである。物語を見つけるためには、切り出すべき世界が必要であり、さらにどの場所を切り出せば物語になっていくのかというセンスと、たぶんガイドが、必要となる。はっきりいってプレイヤーやマスターの資質やそれまでの積み重ねは無視できない。けれどここでは、その答えは逃げでしかない。あくまでそれに対して、システムができること、がテーマではある。

■マスターが用意するのは、状況(事件)・世界であって、ストーリー(筋書き)ではない。これはたまに言われていることだが、「物語やるTRPG」においてもほぼ真である。ちょっと旧い世代の慣れたゲームマスターは、ある程度設定を練り込みさえすれば、あとはそこにちょっとした石(事件や、人物、違和感)を投げ込むだけでシナリオにできる。だからただセッションをこなすだけでよければ*1、3行もあれば十分だ。なぜこんなことができるかといえば、葛藤やせめぎ合いをもともと内包するほどに世界が十分にボリュームを持ち、NPCや集団の複層的な状況の変化を、頭の中にある世界が「当然次はこうだよね」と自動的にシナリオ化してくれるのである。これがうまく回り始めると、プレイヤーたちはセッションを「体験」するようになり、ありがちなテーマでも大きな感動を呼ぶことができたりする。もちろんそこには幸運もまた必要とされるのだけど。*2

■物語やるTRPGは、そういう「状況」を作れるベテランマスターたちのセッションハンドリングとシナリオ記法を、ある程度取り入れて“自動化”することが求められている、とは言えそうだ。もっともこれはほとんど、システムにおいて“物語やる”部分以外をいくらでも手抜きすることが許されること、なんじゃないかとも思う。つまり、システム運用で注力しなければならない部分を、ゲームマスターという資源を物語やる部分に収束させる、ということ。…ま、具体的には以下のようになるだろうか。

ジャンル
まずある程度ジャンルを区切ること。これによって、プレイヤーとマスターがどういう姿勢でセッションに臨めばよいか、コンセンサスを作りやすい。つまりコンセンサスを作る苦労が少し減る。明日をも知れない命のやりとりにドラマ性を見いだすシステムがあれば、スーパーヒーローが悪を一撃でのした向こうの空しさに苦悩するシステムもある。それがワンパターンしか生まないなら問題だが、ジャンルが限られておきながら広がりのある、すなわち間口は広く、奥行きも深ければ、多くの人に遊んでもらえる。*3
タイムスケール管理
物語にはその種別によってふさわしい時間進行というものがある。場合によっては時間進行そのものがジャンルを示すこともある*4。物語には緩急が必要だが、「緩」がどういうリズムであり、「急」がどういうリズムであるか、システムデザイナーは意識的に臨むべきであろう。…この点で、進んでるなあと思うのは、サタスペの「W(ワーク)」のルールである。Wは時間の単位であり、1Wは情報収集でさいころを1回振れることを意味する。もちろん他にもいろいろできる。ゲームマスターはこのとき、「W」が1時間なのか、8時間なのか、1日なのか、5分なのかというふうにどういう時間を意味するか、そして残り時間が何Wであるか、あらかじめ宣言しなければならない。これによってサタスペセッションで起きている事件がどのような時間経過によって描かれるべきかを「マスターにまず自覚させ」「プレイヤー全体に周知し」「コンセンサスを容易にし」、これらを「ゲーム的な時間・資源管理を強いる」ステップで実現しているのである。…あぁ、すばらしいルールだ。パクリたい(w
セッションドライバー
これは造語。ようするにセッションの物語的緊張、葛藤の連鎖を半ば自動的に発生させる仕組みをこんなふうに呼んでみた。いろいろあるが*5、一番わかりやすいのは「残り時間」である。「残り時間」によって自動的に葛藤が深化していく上に、「残り時間」が尽きると勝手に次のフェイズへとセッションが進行する。しかもゲームが制御不能方向に拡散しにくい。また、セッションドライバーを用いることの優れた点は、ひとまずプレイヤーを一つの目標へと集中させることができることだ。これで、ゲームマスターがいちいちプレイヤーのモチベーション管理に力を食われなくなるし、ゲーム性と矛盾せず状況を劇的状況へと収束させ、濃い物語的空間を出すことも可能になる*6。様々なセッションドライバーの仕組みをシステムがサポートできれば、あとは納得できるセッションドライバーへの誘導と、そのドライバーが働いている“状況”の深みとおもしろみの問題となる。
キャラクター記述
プレイヤーが自らのキャラクターを扱うことに悩み、そしてキャラクターとプレイヤーの相克の向こうに、新たな創造性を見つけようという試みについて、のことを主に考えていた。すでにこの論考みたいな文章の前の方で触れたが、キャラクターにはやはり、それ自身の矛盾と葛藤そして謎がある方が、いろいろ楽しい。そのために、システムには「セッションをドライブする仕組み」と矛盾しない方向性で「キャラクター自身が持つの葛藤」を内包させ、そういったものを運用するために「単純でいてキャラクター性を理解しやすく、かつ広がりを持った、キャラクター記述ルール」が必要となる。言うは易く行うは難し、だ。だが結局のところ、システムがどういう世界でどういう冒険を行うものなのか、冒険に必要な要素は何で、管理すべき資源は何で、主人公たちは何を迷いながら冒険していくのか、このあたりを考えた向こうにヒントはいくらでも転がっている。そこにはもちろん、様々に劇的で魅力的な葛藤をもたらす世界そのものを練っていくこともまた必要とされるだろう。…まあ、これはプレイヤーに負担をかけるやり方ではあるけどね。
そして、世界
これは時節のシナリオ記法でまた大きく取り上げたいのだけど、世界に深みがあり葛藤に満ちているほど、物語的展開への誘因力は大きくなる。そして魅力的な葛藤を生み出せていれば、その葛藤を巡ってプレイヤーに考えさせるだけで、ほとんどマスターが用意するような“すばらしいストーリーとやら”が必要にならない、という事実もある。ここにきてマスターの仕事は物語作りなどではなく、“すばらしい葛藤を持った状況”を作り出す思考へと変化するわけだ。しかしこれこそが「物語やるTRPG」のマスターにとって、もっとも必要な仕事だと僕は考える。葛藤は当然システムと密接な関わりを持ったものでないと手間が増えるので、世界とルールを練り上げ、すばらしい葛藤を多く生み出せるものとして総合的にデザインされなければならない。*7

■それにしても「物語やるTRPG」は、ゲームであること、が、体験的視点とメタ的視点が兼ねあう共同創作ちっくな場を生成すること、と矛盾せず、むしろゲームと物語要素の双方を盛り上げていくための相乗効果を期待する、というちょっとわけわからんゲームであるなあと思う*8。けれどこれって、よくできたシステムで成功したと僕が感じたセッション時の印象そのまま、でもあった。その印象をもっとシステム側から積極的にサポートしたいのだ、と気づかなくもなかったり。

■さて、次回はたぶん「シナリオ記法」について。残念ながら最近の様々にモダンなシステムであってさえ、シナリオ記法について強固な認識を持ってデザインされているもの(それがぶわっと伝わってくるもの)はあまり多くない。それを悪とばかりとも言えないし、多く発表される公式シナリオでそのことを総合的にカバーする、というやり方とかもかなりアリだ。また、かつてはろくにマスターを助けもしないルールで、それぞれがシナリオ記法を編み出さなければならない時代もあったのも事実だ。しかし、ここにはまだ多くの鉱脈が埋もれているのである。

■だんだん難しくなってきて更新も開き気味ですが、つづく。

*1:ここは重要。新しい物に挑戦したり、そのシナリオ自体を誰かと共有しようと思えば、もちろん3行なぞでシナリオができようはずもない。

*2:マスターをうまくさせることが目的の話だと、このあと、やれ本を読め、漫画を読め、音楽を聴け、演劇を見ろ、映画を見ろ、アニメを見ろ、綺麗なものを見ろ、ゲームで遊べ、うまいものを食え、いろいろ体験しろ、交友関係を広げろ、異性とつきあえ、異性にさわれ、という話になる。まぁ事実だ。けれども、システムはそこをボトムアップして、できる人はもっとやりやすく! なんて野心を持つもんだ。まあプレイヤーだって話は全く同じなのだけど。…でも個人的に思うのは、TRPGを円滑にプレイすることが一番なら、“物語”というもののお約束をどれだけ身体化しているか、ってのが大きいのかも知れない。お約束を知らない者がそのムコウ側になんて決してたどり着けないし、いわゆる“お約束な予定調和ばかりのセッション”なんてのは、お約束を半端にしか知らないから引き出しが足りなくてそう感じるだけだし。うん。言い切れる。…でも、これだって、ある程度はシステムが助けられるんだよな。たとえばD&Dなんかはシステムがお約束を作ってくれる面があるよね、とか勝手に問題提起して去っておく。

*3:もちろん言うほど簡単ではない(w あと最近Aマホみたいにコンセンサスを作ることが目的のゲームが出てきて、なかなかこれも強く言い切ることはムツカシイ内容かも知れない。

*4:24、とかそういう好例かな。

*5:セッションドライブの意味では、ダンジョンものは実に優れた仕組みをいくつも内包している。ダンジョンの部屋と、だんだん奥に行くと言うこと、それに伴い厳しくなる資源管理、といった要素は、実はセッションの推進力となり、物語の材料ともなりうる。

*6:実は、目標が定まることでプレイヤーキャラクター自体の実質的な自由度も上がる。セッションをとりまとめる装置がないシステムで、様々な分岐やキャラクターによる拡散があり得るセッションは困難の極みだが、セッションドライブの仕組みがあれば、ゲームにおける流れに違反しない限りプレイヤーキャラクター間の対立すら自在に行えるようになるのだ。

*7:ついでに。僕は小説を書くことが好きでいろいろ書いてきたけど、やっぱり“すばらしいストーリーとやら”はしばしば足を引っ張る邪魔ものだった、というのは正直な本音だ。だから、ストーリーを作りたいなら小説でも書け、という意見に対しても全く首肯できない。…まあそういう考えの向こうに、僕がすばらしい物語を誰かに提示できていたかどうかはわからない。けれど僕自身が読んで(できの善し悪しにかかわらず)ああこれは僕が書きたかった作品だったのだなぁ、と素直に思える作品は、いつも「僕が作る物であって僕が作る物でないなにか」だった。そこにはすばらしいストーリーなどなく、ただどちらかといえば絶望的な薄暗い小さな街で、いろいろ勝手に思ったり葛藤したりぶちあたったりする人がいるだけだ。そこには作者である人間など本来必要ない。でもそれは同時に物語であるので、始まりと終わりの時を持っている。…正直、TRPGと小説のドラマツルギーは関係ないと言ってもいいくらい違うもので、なにかピンとくるアイデアがあっても、だいたいこれは「〜向き」だと判断していろいろ使い分けするようにしている。でも根っこの部分、たとえばいずれにしても僕言うところの“物語”を作りたいところなんかは、あまり変わらないのかも知れない。

*8:誤解されそうなので書いておきたいんだが、当然ながら、「物語やるTRPG」じゃないTRPGがダメという話ではない。作る気にならない、と、ダメであること、は一切関係ない。ストーリーが決まっていて、その要所要所にミニゲームが挿入され、ときおり分岐するような選択肢を結ぶっていう系のセッションだって、面白く、かつ求められているのはよくわかる。(たいへんだなあとは思うけど。この部分の印象は当分払拭できないんだろうな(w )また正直、システム作りが邪道である自覚がありまくるので、他に僕が言うようなシステムがあるんならそれ使ってマスターなりプレイヤーなりやっていたい。でも月夜埜綺譚のようなゲームも、シティライツのようなゲームも、今のところないんだもん。それで、作ろうってのはやっぱちょっと病気入ってるけど(w