手前みそな月夜埜綺譚の話(TRPGと物語(iii))

■今回は、月夜埜綺譚という僕と浅川河畔スタジオと月夜埜綺譚製作委員会が作り上げたシステムについて語ります。いやん。

■いままでの論点をつまらなくまとめたりいろいろなんかするとこんな感じ。

  • 物語が物語であるため(きちんと他人様に読んでもらえる作品であるため)には制約が必要である。
  • しかしその制約を会得すること、すなわち物語を生み出すことは大変な困難を伴う。
  • 制約の一番大きなポイントは、葛藤とリズムである。
  • 二次創作は、その自ら生み出さなければならない制約を元ネタに依存することで、簡便に、しかしそれなりに優れた作品を作り出すことが可能になる仕組みを内包している。
  • 同様に、TRPGのルールもまた、物語を物語として成立させる制約、とくに重要な葛藤とリズムの生成を代行してくれる仕組みを持つ。もっともそのことが“物語的ななにかを生成するものとしてのTRPGシステム”の側から語られることは少ない。

■さて、僕とスタッフ・協力者のみなさんで作り上げた『月夜埜綺譚TRPG』は、この問題に真っ向から取り組んだ(たぶん同人レベルではある意味珍しい)システムであった。問題点をけなし次期システムへの展望を提示するのはまた今度やるので、今回はそのどこがすごいのか(苦笑)を検証してみよう。

■そもそも月夜埜綺譚は、日常を普通に生きている人々がひょんなことから事件に巻き込まれ結果的にヒーローとなって事件を解決する、というプレイスタイルを実現するために作られたルールである。

■これを具体的に実現するために、月夜埜綺譚のプレイヤーキャラクターには「カレンダー」と呼ばれる、キャラクターの日常生活を描くパラメータがある。そこには曜日と時間帯(昼・夕・夜)が描かれており、たとえば、「月曜日」「昼」に「×(w)」などという表示がある。これは「月曜日の日中(午前八時から午後五時)は、仕事をしているので自由行動できない」ことを意味する。こんな調子でキャラクターは、家族の時間や、恋人、趣味のサークル、町内会活動までいろんな世界に時間を束縛されており、自由時間を意味する「○」が書かれている欄はほとんどない。実際、自由時間皆無のキャラクターもざらである。

(ちなみに、この1時間帯に1回しか行動できないので、だいたい夜は眠るとして、キャラクターは1日あたり2回しかない行動機会の多くを、すでに生活で埋め尽くされていることになる。)

■なんかたいへんそう、あるいはゲームでまで生活に縛られたくない、といった理由で多くの人が買わずにおいていったのだが(w、ここまで読んだ人は、葛藤をあるリズムで繰り返すというこのブログでとりあげた物語の「制約」をすでにルールが実現していることにお気づきになるだろう。

■ゲームの中にあるキャラクターなのに、毎ターン彼らは葛藤を強いられる。日常を送るべきか、非日常の事件を解決すべきか。非日常ばかりを優先すれば、このゲームのキャラクターは“(ルール的に)死んで”しまう。しかし日常生活ばかりでは危機は回避されない。そのうえ時間も資源も限られている。その中で有効な行動を選択し、事件を解決していかなければならない。

■そして、破調。物語がクライマックスに達したとき(戦闘とは限らない)、キャラクターは必ずいったん、日常生活から離れることを余儀なくされる。そして定常的なリズムから離れた速いテンポ(ルール的には“イベント進行”と呼ばれる)で、物語は一気に終息を迎えるのである。

(多く命がけで、帰ってこれないかも知れないシーン。そのときキャラクターは、たいてい「カレンダー」の制約を逃れるロールを行うことになる。それは「カレンダー」の制約を生み出している人たち、すなわち「職場の人」「家族」「友人」その他の人々に、嘘をつくと言うこと。(テストプレイヤーに“言い訳合戦”と揶揄されたが、ここはキモなのだ。)そして独りで暮らすと言うことが、「命がけの戦いに出るときに、誰かに嘘を言わないでいいこと」を意味する。ま、なんともクサいルールともいえるのだけど…)

■「カレンダー」は同人ルール界の金字塔の一つである。ただしこの限定され、やる人を徹底的に選別するコンセプトのうえでは、だけど(笑)。まあだから、TRPG界の金字塔、ではない。商業出版で出せるコンセプトじゃないもんね。あははは。

(ところで実は、上海退魔行とほとんど同じ時期に発表された月夜埜綺譚。よく似ている。コンセプトも様々なものも、お互いパクリではないのだが、こっち同人ルールだけに、ちょい泣き。まあ目指すターゲットは全く違うんだろうけど。)

■しかし「カレンダー」がそもそも“コンセプトを損なわずに進行管理を簡便にするために”生み出された事実は、個人的には結構重い。そもそもマスターが“物語り”やろうとするとき、現存するほとんどのルールは、まだまだマスターに負担がすぎるんじゃないか。そんな思いがある。そこで悩ませたり手間かけさせたりするんじゃなくてさあ、というか。

■つづく