物語やるシステムで、キャラクターは何でできているのか(TRPGと物語(vi))

■学生時代、漠然と楽しいからってシステムをデザインしていた頃*1、一番面白かったのは、人間が何でできているかを考えることだった*2。今でも楽しくなくもないけど、実のところ、TRPGをデザインする上ではこの思考は複数の意味で誤りである。まず、人間とキャラクターは別物なので、キャラクターが何でできているかじゃなきゃいけないこと。そして厳密には、何でできているのが一番ゲームとして面白いか、を考えなくちゃいけない。もちろんこれに一定したコタエなどない。

キャラクターシートに書いてある内容は、そのキャラクターがゲーム世界においてどういう存在であり、どういう制限を持ち、どういうことができるか、いやいやこのゲームが一体どういうもので、どういうキャラクターを物語を描くか、を端的に表したモノである。よくできたキャラクターシートは、システムのプレイヤーへの最大のアピールとなる。そこに適合する情報は多くあってもよいし、そこに適合しない情報はなければないだけいい。後者の理由は、やはりある程度の期間遊べるTRPGはそれなりの情報を必要とするし、けれど人がざっとで把握できる情報量には限界があるからである。

(余談だが、システムに全くサポートされない無法地帯で“物語”やる面白さも、知らないわけじゃないけれど、それは偶然たまさかのモノ、ないしはシステム領域外で作られた即応性ミニゲームの面白さであり、デザインする側から見ればとくに面白いもんじゃない。もっともマスターするがわからしてみれば、何げに腕の見せ所ではある。僕とかの一部のややずれたあたりは、この腕の見せ所を敷衍してルールを作りたがる、とかいう場合もあったりなかったり。)

■さて、この稿で作り上げることを目指す物語を可能な限りサポートするシステム。キャラクターは当然ながら、ゲームで物語やるのに向いたキャラクターとは何か、という思考から生み出されなければならない。もちろんジャンルや狙う対象によって様々に変化することはもちろんだけど、物語やることを共通とするなら、いくらか“やや普遍的”なあたりの回答は出せそうな気もする。*3

■一つは、おなじみの葛藤である。もちろん。基本的に物語やるんなら、プレイヤーキャラクターは常に何らかの葛藤の可能性の中におかれ続けなければならない、とさえ思っている。すなわち人間性の複雑さ、ドラマティックな意味でのアンビバレンツを抱えながら、その上でセッションで描かれる葛藤を克服していかなければならない。それが、物語的セッションの基本だ。

■マゾですか? とか聞かないでください(笑)。たとえばGURPSのマイナス修正を得られる特徴・癖*4。ペンドラゴンの性格ルール*5。それからF・ローズの感情ルール*6などは、基本的にプレイヤーキャラクターを常に葛藤におくことを目的としている。実のところ物語性を前面に押し出すルールからは最も遠いことになっているクラシックD&Dにしたって、うまく資源管理をやれば各キャラクターが持つ「お金」というパラメータ一一つで、プレイヤーキャラクターたちを常に存在し続ける葛藤の狭間に追いやることができる。*7この常在する葛藤が、どれほど物語的興奮に寄与しているかは、やったことのある人はわかると思う。そしてこれはシナリオによっても与えられるべきだが、物語性の強いセッションを目指すなら、当然としてキャラクター自身にも内包されていなければならない要素である。

■葛藤とも裏表なのだけど、そのもう一つは、前回触れたキャラクターの一貫性である。それも裏切りの予感さえ秘めた一貫性が面白い。もしかすると、TRPGのキャラクターはプレイヤーが操るぶんには当然のごとく一貫している、と思っている方もいるかも知れない。しかしそんなことは全然なくて、様々なゲーム上の有利不利や、PLの性格などをベースに、キャラクターはものすごい勢いで変化していく。そしてキャラクターを一貫させるルールに乏しいシステムで作られたキャラクターは、なんというかご都合主義的で萎える部分がある。リアルじゃない、という言葉を使う人もいるかもしれない。(まあ人間に一貫性が宿ってるなんて言うのは物語のお約束であって、ぜーんぜんリアルなんかじゃないのだが。)

■でもこの一貫したキャラクターというのは、曖昧な経歴表などによって“なんとなく一貫されるようなフレーバーが宿る”程度では、なかなか生み出せない。むしろゲーム上の有利不利、資源管理などと密接に絡んだところで、一貫せざるを得なくなるシステムを構築することが物語性の早道になるだろう*8。もちろんゲームの展開によってキャラクターの行動がどんどん束縛されていき(すなわち葛藤が深化していき)、そこに結果としての一貫性が表現される、というのもよい。*9

■ただここで注意しなければいけないのは、本当に逃げ道をなくしてしまうと、ある一定の役柄を固定した脚本の上で観客もいないままに演じたふりをする、状態になってしまってうまくない。つまり一貫したキャラクター性や葛藤を強めれば強めるほど、おそらく、ブレイクスルーの、すなわちプレイヤー側からキャラクターを主体として生み出す物語の提案を可能にすることを、ルール的に保証することが必要となってくる。さもなければ、キャラクターが持つドラマ性は、ゲームマスターの吟遊詩人化をただ闇雲に増長させるだけだろう。

TRPGで物語やるには、キャラクターは葛藤を常に持ち、基本的な一貫性とそれをブレイクスルーする可能性を内包しなければならない、みたいな話になった。そして様々なジャンルの物語やろうとするなら、その葛藤の一貫性のブレイクスルーの質を考えることとなるのだろう。もっともこれらをプレイアビリティを維持しながら実現していくのはなまなかなことではないのだけれど…。

■つづく

*1:あんなころからルールを作るなんて言う邪道な遊び方をしていたのねぇ…。あれから幾年か…。

*2:そのころの僕は、様々な変異の可能性が河のように渦巻いていてその結点としての人間をPCとしたり、人が社会とアクセすることを可能にしているのは道具(インターフェイス)であり、その人を形作る道具で人間を記述するのが面白いのではないかと考えたりしていた。うん。あれはあれで面白かった。

*3:それが、あんたが勝手に考え出した物語とやらの普遍的な特徴を集めただけだろーがよー、といわれちゃうと反論の余地もないのだが(笑)、それはさておく。ひとまずは。

*4:GURPS: ルールに強くは言われていないが、不利な特徴をロールプレイしなければいけないことになっている。

*5:ペンドラゴン: 葛藤が生じるシーンで、どちらの2極に行動が移るかをいくつかの性格傾向を用いてダイスロールで決める。思い通りの行動をとるために、キャラクター性と向き合わなければならないという意味で秀逸。

*6:Fローズ: 魔法に必要となる資源でもあり、様々な思いを表す感情というパラメータがあるが、あがりすぎれば暴走し、下がりすぎればまた別の暴走を起こす。しかしドラマティックに物語に関われば関わるほど、強く増減せざるを得なくなる。このままならさがすてき。ドラマ。そしてファンタジー。大好きなルールです。

*7:もちろんこれはお金以外でも様々に考えられる。

*8:朱鷺田システムの「縁故」や、月夜埜綺譚の「カレンダー」がこういったルールの例になるかしら。

*9:先刻ご紹介したF・ローズの感情ルールはこの意味での一貫性の傑作であろう。もちろんサタスペの「カルマ」や、無限のファンタジアの「感情」もこの類のルールの一つであると思う。詳しい説明は省くけど。