『少女たちの対話』

 今日は、自殺してしまったA子ちゃんという女の子と、その友達だったB子ちゃんという女の子の物語を紹介しましょう。

 彼女はB子ちゃんをリーダーとするクラスの一団にいじめられ、追いつめられ、学校の屋上から飛び降り自殺を図りました。いじめなんかで死ぬことなんてないのに、と言わないであげてください。幼い彼女には逃げ場所を見つけられず、誰かに弱さを打ち明けることさえできなかったのです。
 でも実のところ、A子ちゃんは自分が死を選ぶ理由を十全にわかっているわけでもありませんでした。彼女はただ死にたいだけで、ちょうどいい理由が彼女の前に転がり込んできただけなのかも知れません。そんな疑いはA子ちゃん自身も感じていたのですが、結局その意志を曲げるほどのことはありませんでした。とはいえ彼女は遺書も残しませんでした。その事実こそ、どこか迷いを表しているようでもありました。
 A子ちゃんは飛び降りる直前、次の言葉をつぶやきました。
「…B子も死んじゃえばいいのに。」
 A子ちゃんは少し胸の奥にうずきを感じました。それは死を決めてからの数日、決して感じることのできなかった何かでした。けれども、暗闇の待つ安堵の彼方に、彼女は一歩、すっと歩みを進めたのです。
 彼女の最期の言葉は、音声としては、誰にも届きませんでした。しかし人々が交わす無意識のメッセージたちの狭間に、さざなみのようなイメージが確かに残されました。誰かの心を不意に打つまでは、誰にも届かないままに。けれど消え去ることはなく。

 A子ちゃんの飛び降り自殺は大騒ぎとなりました。新聞沙汰となり、様々な大人の責任問題が行き交う中、何も残さなかった彼女がなぜ死んだのかは結局誰にもわかりませんでした。大人たちは思春期うつ病とかそんなムツカシイ言葉で納得することにしたようでした。

 一月ほどして、不思議な噂が学校に立つようになります。いわく“A子ちゃんが飛び降りた午後4時44分に屋上を見ると、女の子の影がぼんやり立っている”。
 その噂は学校中に、いや地域中に急激に広まり、いっぽうでストーリーも次第に変わっていきました。
その女の子は助けを求めている”
“その女の子はあなたを呼んでいる。私を殺した犯人を殺して、と”
“決して目を合わせては駄目。さもないと、あなたも殺されるわよ”
“ねえあなたはこんな声を学校で聞いたことがない? 「あなたも死ねばいいのに」って。それは友達のいなかったA子ちゃんが、せめてあの世で友達になってくれる人を探している声なんだって…”

 それはほとんどの人にとって、ただのうわさ話でした。しかしそれぞれの噂はまたコミュニケーションの狭間にさざ波を起こし、イメージが大きな存在となっていきます。その噂の発端をたどっていけば、A子ちゃんが死の間際に残した小さな独り言だったのかも知れません。けれどこの段においては、もう調べようもないことでした。
 もうしばらくすると、今度は、A子ちゃんの幽霊を見た、というものが現れました。もちろん写真になど写りません。しかし噂は一気に盛り上がります。A子ちゃんは実はある人物に殺されたのだが、その犯人がいつまでも捕まらなくて怨みの声を上げているのだ、というのがそのころ一番流行したうわさ話でした。

 同じころ。
 B子ちゃんは内心穏やかではありませんでした。
 あのころ、B子ちゃんはA子ちゃんをいじめているつもりなんてありませんでした。ただちょっとむかついたからからかってみただけなのです。たまたまそれがちょっとエスカレートして、なんだか仲直りもできなくて、そんなある日、彼女はいきなり飛び降りて死んでしまったのです。もともといじめてるつもりもなかったから、最初は「何で死んでしまったのだろう」なんて気楽に考えていました。
 しかしA子ちゃんの噂が盛り上がるにつれ、B子ちゃんは急に不安に捕らわれるようになりました。なぜだか、自分が彼女を殺してしまう直接の原因を作ったのではないか、と思えてならなくなったのです。自分のいじめを恨んで、A子ちゃんは死んでしまったのではないか。不安が、A子ちゃんは道連れに自分を殺したいのかも知れない、にたどり着くまでさほどの時間はかかりませんでした。
 一緒にうわさ話を盛り上げるようなふりをしながら、B子ちゃんは日に日におびえを強めていきました。不安に伴う慢性的な胃痛と不眠が、彼女をさいなんでいました。

 ある日の午後四時四十四分。見てはいけないと思うのに、B子ちゃんはつい、A子ちゃんが飛び降りた屋上に目を向けてしまったのです。
 果たして、そこにはぼんやり浮かぶA子ちゃんの姿がありました。A子ちゃんは恐ろしい形相をして、B子ちゃんをじっと見ていました。そしてB子ちゃんは確かにこんな言葉を聞くのでした。
「あなたも、死ねばいいのに」と。

「いやぁあああああー!」
 悲鳴を上げてB子ちゃんは逃げ出します。しかしひとたび実体を表したA子ちゃんはB子ちゃんに恐ろしい速度で追いつきます。脇目もふらず走るB子ちゃんの耳元で、意地悪げに笑うA子ちゃんの声がします。
「どうしてあなたは生きてるの? どうしてあなたは笑ってるの? 人殺しなのに。あたしをいじめたのに。嘘つきなのに。ねえ死になよ! あなたなんかに生きてる資格なんてない。…ねえ死になよ。死ねば、あんただって、楽になれるよ?」
 いやー! ごめんなさい! ゆるして! そんなつもりなかったの! べつにA子ちゃんをきらってたわけじゃないの! だけど! だけど! ねえ許して! 殺さないで! いや! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい… おねがい! そんなつもりなかったの! おねがい! あたし… ごめんなさい。 ごめんなさい…
 うわごとのように叫びながらB子ちゃんは走っていました。耳元ではずっと「ねえ死のうよ」なんて声が響いています。他の人たちにはA子ちゃんの姿は見えなかったので、B子ちゃんが突然錯乱して走り出した様子を、反応できないままいぶかしんでいました。
 気づけば、B子ちゃんはA子ちゃんが飛び降りた屋上に来ていました。そこにはA子ちゃんの姿をとった“魔”が、にっこり微笑んでB子ちゃんを待っていました。それまでの意地悪さではなく、誠実に、まるで歓迎しているかのような笑顔。
 あたかも、この場所にあなたは来てくれた、あなたはやはり私の友達だったんだね、とでも言いたげに…。

 実のところ、A子ちゃんがどれほどB子ちゃんに殺意を持って死んだのかは、誰にもわからないことです。死の間際にそんな言葉を残したものの、その本当の意味は、B子ちゃんと友達でいられたらよかったのに、だったのかもしれません。
 B子ちゃんの耳元に聞こえる声は、様々なうわさ話が作り上げた「魔」の声でした。あるいはもしかすると、彼女自身の罪悪感が作り上げた、誰にも打ち明けることのできなかった心の声こそが、魔であるA子ちゃんの幻影の、そして流布されたうわさ話の、本当の正体だったのかも知れません。

 B子ちゃんは疲れ切った目でA子ちゃんの姿を見つめていました。その誘いは、優しくさえ感じられました。
「どーして、こんなふーになっちゃったんだろうね」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、B子ちゃんが静かにつぶやきます。その言葉は、やはり誰にも届きませんでした。
「あたしたち。ともだちだったのに、ね…」

 あなたはその場に偶然居合わせているかも知れません。あるいは屋上で疲れ切ったB子ちゃんの姿を、グラウンドから見上げていたかも知れません。そのとき、つい救いの手をさしのべてしまうのか、義憤を叫び彼女を見殺しにするのか、何もできないままただ見上げているのか。
 たとえば。
 魔はこのように生まれ、魔を巡る事件ははじまり、どこかで救いの英雄を待ちこがれながら、あるいは、消えていくのです。