物語は自由か(物語とTRPG(i))

■以下はまだ煮詰めていないが、感覚的にはこれしかないっとか思ってる内容である。いずれ資料的研鑽を経て煮詰めるべきであろう。本当はね。

■言うまでもなく自由ではないんである。漫画や小説を一度でも完成させ、きちんと人に見せ、感想に耐えたことのある人なら誰だって知っているはず。だから、TRPGは物語生成機能を持つことができたりして、一部の“創作の自由に耐えられない人々”をひきつけたのだ(決めつけ)。
(まあそれはよくある翻案モノ(パロディの同人誌とか)のように、魅力的なキャラクターを借りてきて、勝手に二次創作を作るのと微妙に近いモノかも知れない。ある作品のキャラクターを使う、というのは素人にとっては非常に強力な“制約”である。その中でこそ羽ばたける人がいる事実は、コミックマーケットでも見れば明らかである。創作もの、というのはようはこの制約をどういうふうに見つけ出していくかが難しかったりするのだが、事実しばしば素人がねじあげた創作は、すぐれた制約に彩られた二次創作に遠く及ばない。)

■言うまでもなく、TRPGの楽しみは物語だけにあるわけではない。しかし物語創造的な者を楽しみに付加するなら、おのずとルールとマスターがやらなければならないことは見えてくる。

■それは「葛藤」と「リズム」である。

■葛藤が繰り返すこと、そしてそれらがある種のリズム(言葉の音韻から始まり、起承転結のような構成にまで至るそれ)を持たなければならないことは物語の重要な“制約”である。そうでない作品を書くことはできるだろうけど、一般に読んでもらえない。
(そしてしばしばその葛藤は、因果で説明できる、という全くリアルじゃない属性を持っておかなければならなかったりする。さもなければ唐突とか陳腐とか言われるのだ。)

TRPGのゲームルールが、ある種の葛藤(戦闘が多いですね)と様々なリズムを持つことは、たぶん偶然じゃないのだ。そういう意味でTRPGはやはり物語を意識したゲームであろう。しかし物語を全面に持ち出すにしては、そのサポート能力に欠けるルールが多いのも事実である。

■はてさて。たぶん、つづく。