村上春樹「午後の最後の芝生」

村上春樹の短編の中で一等好きなこの作品が、『象の消滅』と称した海外向け翻訳本に収録されていた、というのはなんだか気分が悪くない。個人的には数少ない“こんな作品が書きたい”という類の作品である。そんなことを思うのがすでに何ともあれだけど、そうやって人は普通になっていくのでしょう、とかも思う。

■東京都稲城市のあまり栄えていないあたりで、夏の暑いさなかに主人公が芝刈りをする、というこの物語。芝刈りが様々な孤独を捕まえながら、けれど収束せずに消えていく。そこには濃密な街の気配と同時に、濃密な“不在の気配”がある。寂しさというにはいささか冷たい、けれどどこか優しい空気。えらい人はデタッチメントとか名付けていたかも知れないが、ある種の田舎者の気配、といえるものかもしれない。

■かれこれ20年以上も前に、今とは全く違うはずの稲城市について書かれたこの物語が、今の稲城市の印象に奇妙に通底するのは、やはりすごみだと思うのだ。それは“変わってしまったもの・なくなってしまったもの”より高次のその場所にあるなにかをとらえている証拠だろう。僕の薄っぺらい読書録の中で、これほどに稲城市をきちんと描いたものは他にない。(そもそもさして題材となる場所でもないけど。)

■もっとも、そんな感想は僕の思いこみかも知れない。それになにより、この感想文には色気がない。思ってることはそーじゃないのにね、みたく。

■その乾いた孤独が、あの街の風を思い出させる、というとくさすぎるけれど。“なんにもないまち”とか“失敗したニュータウン”“没落していく…”とかそんな言葉を平気で使う感受性の乏しい連中に、読ませてやりたいような、読んでもわかんねーだろーな、というような短編である。

■これがゲームの製作にどうからんできたかといえば、また稿を待たなければならないのでした。つづく、です。ちなみにこの作品は、月夜埜綺譚の(そして次回作として制作中の“シティライツ(仮)”の)ライトモチーフ作品というわけではありません。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991