疲労話

 現実はまあ基本的に清濁併せ呑むもんだし、結構難しい。
 食事時に隣に座った女の子が延々と苦労話を話していた。たしかに彼女はなかなか大変な身の上で、若いみそらで必死に生きている、というのが伝わってくる切実な内容であった。けれども彼女が「最近刺激が足りない」だの「どーしてみんなちゃんと前向きに生きないんだろう」だの「みんなつまんないやつらばっか」だのと言い出すにつけ、なんだかため息をついてしまった。(そんなことを言うあたり、苦労話も話がうまいだけかと思ったがそれはまあ別として)
 茨木のり子の詩じゃないけど、自分の感受性ぐらいどうにかしなさい。なんて説教くさく思ってしまう。
 綺麗なものはいくらでもあるのである。世の中には、コンクリートのひびや、用水路、造成地や、建築足場にまで美しさを見出す人間がいるのだ。刺激だの面白いものなんてそんなに遠くじゃなくてもいくらでもあるのにね。なんていう思考も、まあため息ではあるか。
 そんなの結局何かと出会うことを許された“選ばれただけ”なのかもしれないけどさ。