かりそめ

 うぇっぶからいなくなって久しい。忙しくなったのと、たぶんちょっと飽きたから。
 そんな世捨て人のような生活は懐かしく過ぎ去り、今は、人並みに忙しくなった。命がけの職種でもある。夢を忘れて久しいけれど、嫌いじゃない業界で職ににつけたことは幸運だった。でもその現実は厳しく、夢破れたわけじゃないけど、ため息が出ないわけじゃない。
「用水路が好きなんですよ」
 と、今の会社に勤めだしたときに明かしたら、笑われてしまった。
 笑われるとわかってはいたけど、好きなもんは好きなのだ。でも好きを明かすことはやっぱりちょっとはずかしくて、たとえばコンクリートを打設する際の鉄筋が好きなんだ、ってことはまだ人に話してない。工事現場の日暮れが好きだってことも。
 好き、を現実を知らないからだとなじられれば、暗い現実を抱え込んでなおも言えるものを持っていきたいのだ、と青く答えるのも楽しい。
 たとえば用水路を見る。それは凡庸な景色だったりやけにきれいだったりする。でもそこには人の血と汗がやたらとこめられていて、そのために犠牲にした他の人々の恨みと怨念だってやたらとこめられている。綺麗な上っ面だけを見て、好きだなんて恥ずかしくて言えない。
 でもダムに魅入られはじめたとき、ダム反対派の極北とも言える本をまず手にとったのは、やっぱりやりすぎったかもしれない。それでも好きなんだ、を経て貴方は何を得たの? とたずねられてしまったら、だまるしかないし。